2015年03月23日

苦心のアイデア ー教会建築物語

苦心のアイデア

 12月中旬の完成を目指して、わが教会の建築は現在真っ只中といったところです。今年の夏は殊のほか雨が多かったために出足を挫かれ、それを取り戻すのに現場監督のY氏もかなり苦労をしているようです。冗談半分に「する事があったらいつでもわれわれ信徒が手伝いに行きまっせ」と声をかけてみましたが、「怪我されたら元も子もあれへんから結構結構」と体よく断られました。
 月に1、2度開く建築委員会も次第に内容も細かく具体的なものになってきました。屋根の色、床板の材質、外壁の色、スイッチや電源の差込みの位置、トイレの便器のカラー等など、小さな材質見本やカラー見本を並べて「あれがいい、これがいい」と言い合いながら、なんとなく無難なところに落ち着いていきます。しかしこの「無難な」というのが曲者で、無難な材質無難な色は、ありふれた、没個性に通じ、どうしてもユニークで個性的なものからはかけ離れていきます。焦茶色の屋根に白い壁、とくればそこら辺の最近のプレハブ住宅の典型ですが、わが教会もどうやらその辺の色に落ち着きそうで、これも仕方ないことでしょう。
 設計士のH氏に「何か、これだけは譲れんいうもんがあったら、何でも言うて下さい」と問いかけると、温厚な彼はニコニコしながら「みんなまあまあの色やし、ええんやないですか」と、褒めとるのか諦めているのか分からんような返事が返ってきました。しかし彼の心境も分からんわけではありません。
 われわれが、あれよりもこれ、これよりもあれ、と少しでも良いものを希望すると、必ず費用のアップが絡んできて、「へいへい、費用さえ追加してくれたら、どんなもんでもしまっせ」と建築担当のY氏にジロリと睨まれるとあとが続かなくなり、「物言えば、唇寒し・・・」じゃなく、「物言えば、懐寒し 秋の風」といったところです。
 しかし、折角建てるのに何か特色を特ったものが欲しいなあ、ということで色々無い知恵を絞ってみますが、どうしてもさきだつ物に阻まれてしまいます。その中をなんとか工面して、と考えているのをこっそりと2、3紹介しましよう。余り大きな声で言えないのは、実現するかどうか心許ないからです。
 まず、現代はハイテクの時代で、最近建つ建物はインテリジェントビルといってハイテクを駆使した物が大はやり。わが教会も負けてはならじと色々考えました。
 まずスイッチーつで教会の塔から鐘の音が、聖歌の調べにのって流れます。礼拝堂には前と後に二個ずつ、合計四個のスピーカーから荘重なパイプオルガンの聖歌が流れ、聖卓の横には簡単なボタン操作で動く電光掲示の聖歌番号板が輝いています。聖卓の上の畳一枚程の大きなステンドグラスは、徳島では指折りの女流画家のデザインによるもので、礼拝堂の後の広い壁面には百号に近い油絵の聖画が二点、壁画のごとく信徒の心をなごませる。礼拝の模様はいつでも階下のホールのテレビにスイッチーつで映しだされ・・・・とくれば、田舎の教会にすれば一寸気の利いた、芸術味の溢れたハイテク?教会を連想させるではありませんか。
 「なんじゃい。みんな夢か」とお叱りを賜わりそうですが、いえいえ決して夢ではなく、半分以上は実現可能なのです。しかしよくよく読んで戴ければお分りのことと思われますが、一つ二つはそうせざるを得ない苦肉の策なのです。
 まずは教会の鐘。計画当初は本物の鐘を吊すべく立派な塔を作ってはみたものの、注文生産の鐘はわれわれの懐事情からすれば殊の外高く、当てにしていたどこかよその教会の使い古しの鐘にも巡り合えず、結局空っぽのままではしのびないということで塔の中にスピーカーをぶらさげ、下からアンプで既成の鐘の音(が有るのか無いのか知らないが)をエンドレステープで流そうではないかという、まさに苦肉の策なのです。

( 神のおとずれ・1989年9月号 )


コメントはこちらから(1件)

この記事へのコメント
あれもこれも実現してるじゃないですか!
やっぱりテモテはこうじゃなくっちゃ。
昔も今も。
Posted by ノエル@テモテ教会 at 2015年03月23日 23:42

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