2014年07月26日

はじめに - 教会建築物語

これは神戸教区の機関誌「神のおとずれ」に1988年8月から1990年2月まで連載したものを、ほとんどそのまままとめたものです。
これから週1章ペースでここに再掲していきたいと思います。
それでは、

ドキュメント
徳島聖テモテ教会建築物語
 〜ある小さな教会のヤケクソ建築奮闘記

お楽しみください。
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はじめに

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 この物語は作リ話ではありません。しかも筋書きはまったく決まっていないのです。じつは四国は徳島市の中心から少し離れた佐古という町に徳島聖テモテ教会という小さな、しかもひなびた教会があるのです。南には美しい眉山をひかえ、前は小学校、周辺は住宅街といった閑静な環境に恵まれた教会なのです。
ところがこの前を初めて通る人は誰一人 ここが教会と気づく人はいないのです。なぜって?実はここには教会堂がないのです。戦災や火災で焼けたわけでもないのですが、あるのは敷地のかなり奥まったところにマッチ箱を横に立てたような古びた何の変哲もない二階建ての木造の建物があるだけなのです。そう、これがー応教会としての建物なのです。
表玄関の左に白ぺンキ地に黒字で「徳島聖テモテ教会」と書かれた古びた看板と、道路沿いに建てられた小さな教会案内板が辛うじてこの建物が教会であることを証明しているのです。薄暗い玄関を入って左の階段を上ると八畳二間の畳敷きに木造りの長椅子が二列に並べられ、その奥のカーテンで仕切られた六畳足らずの間が祭壇として使用され、そしてこれが実はこの教会の礼拝堂なのです。今どき畳敷きの礼拝堂などこの神戸教区でも珍しいのではないでしょうか。でもこの建物が、 今から60余年前の昭和3年に建てられたときは牧師館として建てられ、この二階の礼拝堂は近い将来、前の空き地に教会堂が建てられるまでの仮の礼拝堂だったのです。そしてその後60年間、結局教会堂が建たぬまま今日に至ったのです。
 この、子供も含めて信徒僅か30余名という小さな教会に、教会堂を建てようという話がもちあがりました。といっても、教会堂建築の話は今度が初めてではないのです。 実に30数年以上も前から浮かんでは消え、消えては浮かぶといったことが何度繰り返されたことでしょう。 顔を合わせれば「礼拝堂が欲しいなあ」、信徒総会ではいつも「ぜひ教会堂を建てよう」と誓い合うのですが「いかにせん貧乏教会、少数信徒の悲しさに加え、 石油ショックによるインフレなどが容赦なくふりかかり、最近ではもう信徒の多くは狼少年の話のごとく、耳はかしても半ば諦めかけていたのです。
 しかし、今度はどうやら本気なのです。大金が天からでも降ってきたのでしょうか。いいえ、相変わらずの貧乏会計で、会計委員さんはいつも四苦八苦しています。30年以上も前から始めた建築会計も去年一年間に上乗せできたのは、利息を除くと僅かに40万円でした。こんな調子では、何年待っても教会堂など建つはずはありません。でも、今度はみんな真剣なのです。なにか切羽詰まったような、もうこの時期を逸したら永遠に教会は建たないのではないかといった、そんな空気があるのです。
 実は2、3年前にかなり具体的な話にまで進んだときがあるのです。その中心になってみんなを引っ張ってくれたのが、武市捷委員でした。彼は、この教会が建った2年後の昭和5年に受洗したという当教会で最も古い信徒で、この教会をささえてきた中心人物であリ「この教会の生き字引」といった存在でした。その彼を中心にしてかなりはっきりした青写真が出来かかったー昨年の夏、当教会の芳我秀一司祭がー年間、英国へ留学することになり、八月に出発したのです。なにか出鼻を挫かれたような感じでしたが、とにかくー年間皆の力で留守を守ろうと頑張っていた昨年2月、突然その中心人物だった武市委員が脳出血で倒れたのです。万年青年といわれ、健康そのものだった同委員の病気は家族は勿論のこと、教会にとっても大きなショックでした。
 昨年9月、芳我司祭が無事帰国。しかし信徒の口から、教会建築の話はほとんど聞かれなくなりました。もう教会を建てるのは無理かもしれない・・・そんな空気が漂い始めました。今年1月の信徒総会も、例年より静かで、何となく元気がありません。毎年司会する武市委員がいません。毎年話題に上る教会建築の話も出ません。みんな押し黙ったまま総会が終わりかけた頃、一人の信徒が立ち上がりました。「教会堂はどうなったんですか。いま建てないと、もう永遠に建たないかもしれない。皆で頑張って建てようではありませんか」。一瞬、場内が静まり、そして暫くして、あちこちから賛同の声があがり始めました 。「駄目だったら仕方ない。しかし、皆で精一杯頑張ってみよう」。
 かくして今年の1月末、早速建築準備委員会が結成され、何度目かの教会堂建築計画のスタートを切ったのです。毎月1回会合を開いて、おぼろげながら前が見えてきたため7月17日、臨時の信徒総会を開いて最終的な信徒全員の同意を得ました。
 しかしこれから先、資金や設計など色々な間題が山積しています。 ここでこの小さな教会が、どのようにして教会堂を建てるのか、いや、ひょっとして 途中で挫折するかもしれませんが、同時進行のかたちで皆様にお伝えしていきたいと思います。この田舎の小さなイべントが、われわれ信徒に、あるいは教会に、そして教区に、なにかそのあり方を問うものがあることを期待しながら・・・・・。

( 神のおとずれ・1988年8月号 )

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2014年08月01日

建築資金 - 教会建築物語

建築資金

 さて、教会堂に限らず、建物を建てるのに問題になるのは資金と設計です。
 これは車の両輪のごとく、一方だけが満たされても他方が十分でなければ建つものも建たず、一方が進んで他方が遅れても同様です。ましてや当教会のように、両方とも白紙に近いような場合は何をかいわんやです。
 1月から始めた月1回の建築委員会でも、毎回お金の話と、どんな教会を建てるかの繰り返しでした。みんなそれぞれに描く夢の教会堂は、お金の話になると急にしぼんで現実に引き戻され、ため息をつくのです。
 そこで先ず、一体われわれの力では精一杯いくらの建物が建てられるか徹底的に話し合いました。じつはわれわれが30年余りかけて教会建築のためにコツコツと貯めてきた額が昨年末ついに、というよりやっと1000万円を越えました。「おやっ、案外持っているじゃないか」と思われる方もいるかも知れません。でもこのお金は、現在在籍する教会員は勿論のこと、過去30年この教会を巣立っていった多くの人々の汗の結晶なのです。
 現在の教会委員で50才過ぎの人々は、当時青年会の中心となって廃品回収やバザーで得たささやかなお金を積みたて、ひょっとして自分たちの結婚式は新しい教会堂で、などと夢を見て頑張った人たちですが、その後襲った石油ショックによるインフレなどにも見舞われ、自分たちの結婚式はおろか子供達の結婚式も危うしといった現状なのです。「こんな調子じゃ、われわれの葬式も間に合わんでよ」といった冗談も出る始末。
 ちょっと話がそれましたが、とにかく現在1千万円だけは確保しています。この上にー体いくら上乗せできるかが問題なのです。そして、教会堂だけでなく、牧師館もあわせて建てなければなりませんし、建築期間中の礼拝をする場所や仮の牧師館も確保しなければなりません。
 「ところで、教区からは、いくらぐらい援助してくれるんですか」。ある日一人の信徒が司祭に質問しました。ほとんどの信徒は、教区からの援助は無理だと承知していましたが、一部の人はある程度の援助があるものと期待していました。
 「あのう、教区からの援助はほとんどありません」。司祭は、まるで自分が悪いかのように口籠もりながら答えました。「そんな無茶な、ほなわれわれだけで建てえ、いうんですか。他の大きな教会が援助してくれるとか・・・」。どちらかというと熱血漢の彼は、顔をやや紅潮させながら質問を続けます。「いえ、ひょっとして管区から500万円借りれるかもしれませんし、他の教会からも少しは・・・」。司祭が答えるのを引き継ぐように、教区や財政に詳しい委員が、神戸教区の財政が苦しいこと、従って教役者の給与は神戸教区が全国でもかなり低い方であること、大きな教会はそれなりに未自給教会を助けていることなど説明を続けました。
 「しかしわからんなあ。日本聖公会って全国組織なんでしょ? なんで教区間に貧富の差があるんですか。もっとも、教会にも貧富の差があるんやからしかたないか・・・。もひとつ分からんのは、なんで中、四国教区やのうて神戸教区いうんですか・・・」。
 いやはや、話がとんだ方へいってしまいました。彼の質問に答えるためには、日本聖公会の宜教の歴史をひもとかなければなりませんし、この物語の本意から外れますのでこのへんでやめましょう。しかし彼の言うことも分らないわけでないのです。じつはその少し前にある委員が、隣の大阪教区では教会を建てるときには教区から2、3千万円の補助金が出るという話を聞いてきたのです。また先日は、当教会から7、8年前に大阪のある教会へ移った信徒が、久しぶりに当教会を訪れていうには、2年前にその教会は、なんと2億円かけて礼拝堂を建て直したという話でした。
 「まあ、あるところにはあるっちゅうこっちゃ。上を見たらきりないし、だいいち、ない袖振れいうてもしゃあないやないか。われわれがー所懸命しとったら、神様もなんとかしてくれるやろ」。いつもニコニコと笑顔を絶やさない委員の言葉で、熱血漢氏も少し落ち着きを取リ戻しました。
 さて、もうー度話を本筋に戻すとして、1千万円の手持ちで、一体いくらの建物を建てるか。喧々諤々?の話し合いの結果、結局一切合財入れて3500万円を目標とすることに決定しました。つまり現在の建物を壊し、礼拝堂と牧師館を建て、その調度品を備え、建築の間の仮の礼拝する場所や牧師さんの借家の費用等すべてを含め3500万円で賄うということです。なぜこの額に決まったか、ケンケンガクガクの話し合いの結果にしては少々だらしないのですが、つまり3千万ではちゃちな物しか建たないだろうし、4千万はちょっとわれわれの力では手に負えない、それじやあその中をとって・・・といったところが正直な話なのです。しかし果たしてそれだけの額が集まるのでしょうか。

( 神のおとずれ・1988年9月号 )

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2014年08月15日

教会の現状 - 教会建築物語

教会の現状

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 さて、募集目標額3500万円から、手持ちの1千万円を引いた2500万円が、これから集めなければならない金額と決めたものの、果たしてこれだけのお金がそう簡単に集まるのでしょうか。
 信徒数30数名、学生など除いて実際に月約献金を納めている信徒は28、9名。ご多分に漏れず、主婦、老人が多く、有職男性信徒は定年退職者を入れても10人前後です。 大した金持ちがいるわけでなく、みんなつつましい生活を送っている人々です。しかし、低給ながらも司祭に給与を払い、教会を維持し、教区納付金を毎月4万円程度納めている自給教会なのです。例の熱血漢氏にいわせると「なんでこんな貧乏な教会から毎月4万円もピンハネせなならんのかいな。もっとも、教会を建てるときには1千万か2千万 ポーンと援助してくれれば別やが・・・」となるのですが、「君なあ、教区の財政も苦しいんやし、まだまだうちより苦しい教会が沢山あるっちゅうこっちゃ。自給出来てるだけでも感謝や。それになあ、もしもやでぇ、教区からポーンと2千万でも送ってくれて教会を建ててもやでぇ、ほんな教会に愛着が湧くか?借金してでも、信徒みんなが汗水流して建ててこそ、自分の教会や思うんちゃうやろか」と、苦労性らしい例のニコニコ氏のフォロー。かたわらで司祭さんがほほ笑みながら耳を傾けています。この教会には、こ ういう自由で、何でも言える家庭的な雰囲気があります。ひょっとして、これは畳み敷きの今の礼拝堂のおかげかもしれません。
 それにしても、2500万円もの大金をわれわれだけの力で生み出すことはとうてい無理です。つつましいながらも、みんな教会のために精一杯頑張っています。月約献金のー人平均金額は、神戸教区内で3本の指に入ると会計委員さんは胸をはります。都会に比べれば平均してかなり低賃金のこの地方を考慮しても誇っていいことかもしれませんが、これもひとえにいつか自分の教会を持ちたいという願いが込められているのです。
 しかし、お年寄りや未信徒をご主人に持つ主婦の信徒のように、これ以上寄付や献金の負担を掛けられない方々も多々います。建築委員会で最初に決めたことは、教会建築が決して信徒の信仰生活や教会生活の負担にならないようにということでした。ですから3500万円という額も、あくまでも目標額であって、精一杯頑張ってもそれ以下であったらその額に合わせた建物にしようと申し合わせました。先に、建物を建てるには資金と設計が両輪のごとく、などと書きましたが、わが教会の場合は何よりも先ず資金の目途をある程度立てなければ本格的な設計に入れないということで、早速資金集めの作業にとりかかりました。 なにぶんにも、最初はみんな初めてのことで何をどうしたらいいのか分からず、ただでさえクリスチャンというものは金儲けも下手なら金集めも下手ときているものですから、集まってワイワイ言っている割には前に進みません。しかしそんなうちにも、時々うれしいニュースがわれわれを勇気づけてくれます。
 今年の1月の信徒総会で教会を建てることを申し合わせたその翌週、なんと30万円の大金をポーンと、しかも匿名で寄付した信徒がいたのです。「30万円を匿名でなんて、泣かせるなあ。僕だったら自分の名前を叫びながら寄付するでぇ」と例の熱血漢氏が嬉しそうにジョークを飛ばしましたが、これには建築準備委員一同感激すると同時に、もうこれで後に引けないぞ、という責任感をひしひしと感じました。
 4月に入って、もうーつうれしいニュースが入りました。呉信愛教会から当教会に100万円の寄付の許可がおりたのです。ご存じのように同教会は昨年立派な教会堂を建て直し、その時教区内外から募ったー枚200円のレンガ献金が予想以上?に集まり、その感謝の証として建築会計収支報告の中で、応援金100万円を教区内で次に礼拝堂を建てる教会に寄付すると計上されていたのです。それを伝え聞いたわれわれは、なりふリ構わず諸手に足まで挙げてお願いしていたところ、かねがね呉出身でもある古本正夫司祭が永年お働きになったテモテ教会のためならと、佐藤司祭様はじめ教会員皆様の温かいご配慮をいただき当教会に寄付していただくことになったのです。それにしても、目標額より多くの資金が集まったとは、何とも羨ましい話ですが、それにもまして驚いたのは、余ったお金をポンとよその教会に寄付するという行為でした。何という大きな心、これぞ愛と言わずして・・・・などと歯の浮くようなことは言いますまい。しかしこれでもう後へは退けなくなりました。前進あるのみです。

( 神のおとずれ・1988年10月号 )

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2014年08月28日

借金 - 教会建築物語

借金

 さて、手持ちの積立金1千万円に、呉信愛教会からの応援献金100万円、匿名氏からの献金や今年1年分の利息などを加えると約1200万円が確保されました。あと2300万円です。ところで資金集めは自ずと次の4つの方法が考えられます。
 まず第1番目は何といっても、われわれ信徒の献金です。私たちが精一杯努力せずして、他に援助を求めることは許されません。2番目は、当教会にゆかりのある方々、かつて当教会に在籍し、現在は他教会へ移った信徒や、教会を離れていった人々からの献金です。ざっと調べただけでも5、60人はいそうです。3番目は、神戸教区を中心とした全国の聖公会の教会からの援助です。そして4番目は借金です。
 それでは順序を無視して、この最後の借金から話を進めましょう。本当は借金などというものは、全ての献金を集計して、最後にそれでも足りない分を借金で、と考えるものですが、われわれ信仰薄き者は、到底これだけのお金は集まらないだろうから、借りられるところからとにかく借りようということになりました。といっても借金は借金、いつかは返さなければなりませんから、自ずと限度があります。借金してでもとにかく建てよう、と皆が燃えているうちはいいのですが、いざ建ってその熱気が次第に醒め、借金の重荷だけがのしかかって、会計さんが四苦八苦しているという教会の話をときどき耳にします。そんなことにはならないためにも、借金は少なければ少ないほどいいのですが、返済能力から逆算してせいぜい500万円、精一杯無理して7、800万円が限度で、ここまでくると少々やけくそ的雰囲気が漂います。
 そこで早速、かねてより噂に聞いており、もはやわれわれの予算に半ば組み込んでいた管区からの借入金についての作業に取りかかったのですが、送られてきたその「手引き」を読んでみんなー瞬「ウーン」と唸りました。といってもそこに書かれていたことは、とりたてて珍しいことや特に厳しいことが書かれていたわけではないのですが、余りお金を貸したこともなければ借りたこともない者にとっては、あらためて借金というものは厳しいものであることを再認識させられました。まず、融資を受けるものは、所属教区主教及び常置委員会の了承を得たうえ、その目的、申請書、返済申請書、工事計画書、設計図、工事見積書、資金計画書を添えて提出、融資限度は500万円、年2回の委員会の審査で融資が決定すれば、返済は年3.5%の利子を含めて10年以内に返済のこと、延滞した時は年利5%の延滞利子が付加、そして最後に返済完了時には、応分の感謝献金をお献げする、と明記されていました。 出来れば無利子で、返済期間も20年ぐらい、などと虫のよい期待を抱いていたわれわれにはかなり厳しい条件でしたが、もうーつがっかりしたのは、昨年申請した教会が全国で6件もあって、現在も認可が下りるのを待っており、 今年も何件かの申請が来ているので、出来るだけ早く申請書を提出せよとの事でした。この調子では今年は勿論、来年も怪しく、今すぐ申請してもいつ認可されるか分かりません。しかし背に腹は変えられず、早速ありあわせの書類を揃え、ロンドン帰りの主教さんや常置委員さんのご協力を得て8月に申請を終えました。あとは神様に祈るのみ。といっても各教会も同じ神様に祈っている事でしょうから、神様も大変です。結局我々は、借金が下りるまでの間、どこかで又借金をしなければならないようです。

( 神のおとずれ・1988年11月号 )

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2014年09月15日

教区外からの募金 - 教会建築物語

教区外からの募金

 次に、他教会からの資金援助についてお話しましょう。最初、神戸教区以外の全く見識もない教会にまで援助をお願いすることについて、色々と意見が別れました。この小さい教会にも、年に1、2件は見も知らぬ教会から同じような依頼が舞い込み、といって当教会がその要請に殆ど応じておらず、身勝手といわれればただただ恐縮するのみですが、この際恥も外聞も捨てて、全国の聖公会の教会に募金のお願いの手紙を送ることにしました。
 8月の暑い日曜日の礼拝後、7、8名の有志が全国300余りの教会や伝道所に、それぞれに期待と祈りを込めながら宛名書きをしました。中には、何々様方とか、何々団地内、等といかにも我が教会よりも貧しそうな教会や伝道所もあったりして、はたしてこんな所にまで・・・等と少し躊躇しながらも取り合えず殆ど全ての教会に発送しました。
 一応締切10月末日としてあったにもかかわらず、発送後10日も経たないうちに早くもうれしい入金第一号が入りました。東京の葛飾茨十字教会です。葛飾といえば柴又、寅さんのような気が早いが、気っ風のよい教会委員さんが居て、「全国の貧しい教会信徒諸君に、暖かい手を差し伸べようじゃないの!」と、言ったかどうか知りませんが、とにかく嬉しい第一便でした。これは幸先がいいぞ、と期待に胸を脹らませましたが、結局、神戸教区外からの献金は10月の締切までに、全部で16教会、総額14万1千円でした。教区外への発送282通から計算すれば、打率は5分7厘、正直言って、少々期待はずれでしたが、私達にはそんなことを言う資格はありません。なぜなら、わが教会が、教区外の見知らぬ教会に協力した覚えがないのですから。むしろ、見も知らぬこんな教会に、16もの教会や個人がご支援くださったことに、心から感謝せずにはおれません。例の熱血漢氏がいみじくも「もしもお金と時間があったら、各教会を回ってお礼を言いたいし、一体どんな教会か知りたいなあ」と言いましたが、本当にそんな気持ちでいっばいです。ここに感謝の意を込めて、その他の教会名を記させていただきます。札幌聖ミカエル教会、安房大貫基督教会(千葉)、茂源昇天教会(千葉)、八日市場聖三一教会(千葉)、練馬聖公会、東京聖マリア教会、東京聖マルチン教会、沼津聖ヨハネ教会、富山聖マリア教会、恵我之荘聖マタイ教会(大阪)、堺聖テモテ教会、プール学院、初島聖十字教会(和歌山)、福岡教会、愛楽園祈りの家教会(沖縄)。その他、横浜教区の梶原主教、大阪教区の木川田主教様からもご支援をいただきました。
 なお、締切り後にも次々と献金が届きましたので、引続き記名させて頂きます。川越キリスト、目白聖公会、名古屋聖マルコ、小樽聖公会、市川聖マリア、聖モニカ礼拝堂、豊橋昇天、東松山聖ルカ、石橋聖トマス、八市場聖三一、富山聖マリア、浦和諸聖徒、川口基督、松本聖十字、シアトル聖ペテロ、聖バルナバ病院などです。本当にありがたいことでした。

( 神のおとずれ・1988年12月号 )

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