2014年10月03日

教区内からの援助 - 教会建築物語

教区内からの援助

 さて、私たち徳島聖テモテ教会の信徒にとって、ついに1989年の今年は待ちに待った教会堂建築が現実のものになりそうです。1890年(明治23年)佐古講義所として発足以来、今年が99年目、来年はなんと創立百周年を迎えるのです。99年目にして初めて教会堂が建つ・・・なんと気の長い神のご計画でしょう。しかし、なんと素晴らしい神のお計らいでしょう。こんなちっぽけな教会が、百年もの長い間、脈々と続いてきたことに私たちは神のご恩寵を感じます。そして、私たちのまわりの教会、とくに神戸教区の皆様方の温かい祈りとご支援なくしては、ここまでこれなかったのではないかと、心から感謝申し上げます。
 この度の教会堂建築に対する、教区内からの物心両面からの温かいご協力に、私たちはどれほど勇気づけられたことでしょう。ここに感謝の意をこめてそのー部を記させていただきます。
 神戸聖ミカエル教会では、主教様のお図らいで、信徒の皆様にわざわざ振込み用紙を配ってくださり、30数名の方々から総額約40万円を振込んでいただきました。広島復活教会では、10月30日のバザーの収益金の内、30万円を献金していただきました。呉信愛教会の100万円といい、広島県の信徒の方々はなんと心の広い方が多いの・・・と、ここまで書いて例の温厚なニコニコ氏が言いました。「近藤君、あんまり金額のことは、そんな公のとこに書かん方がええんやないやろか。そりゃ、100万円や30万円と沢山の献金をしていただいたことは涙がでるほど嬉しいし、感謝や。でもなあ、沢山しとうても教会が貧しいて少ししか出来んとか、一銭も出来ん教会も沢山あるやろう。そういう教会の信徒さんにとっては、あんまり楽しい記事やないと思うんや。君も書いているように、物心両面の援助に感謝するんやったら、物のお金の方ばかりでなしに、心、つまり祈りや精神面での援助に対しても感謝の意を表せなならんやろ。もっとも、どこの教会がどれだけ祈って下さっているか我々にはわからんことやけど・・・」
 なるほど、彼の言うことはよく分かります。私も決して個人の寄付金額まで書くつもりはありませんが、どうも貧乏性のゆえか、多額の寄付の方に筆が走りがちかも知れません。聖書にも「施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな」とあります。寄付をする側としては何らその代償を求めはしないでしょうし、神の目からみれば、金額などは間題ではないのでしょう。だからといって、献金をしていただく私たちにとって、感謝を表すのにいささかの躊躇もあろうことか、むしろ義務でもあります。
 「ちょっと、おかしいんやありませんか」。私達の会話を聞いていた例の熱血漢氏が話しかけてきました。「そら、言わんとしていることはわからんことはないけど、なんで沢山献金してくれたところに、ありがとう、ありがとう言うて悪いんですか。なんで1円も献金してくれてない教会のことまで気にせなならんのですか。教会それぞれに事情があるんやし、そんなこといちいち気にしよったら、教会や建たんのと違いますか。お祈りしていただくのは、ほら、ありがたいことです。ほなけんど、お祈りだけで教会が建ちますか。僕は、聖書の中の、蛇のごとく賢く、鳩のごとく柔和であれ、という言葉が好きやけど、どうも日本の教会は、鳩のごとく柔和ばかりが強調されすぎとんと違いますか。だから、日本の教会はひ弱いんと違いますか。もっと蛇のごとく賢くなってええんやないですか。クリスチャンは霞を喰って生きて行けるんなら别ですけど・・・。あの教会があれだけしたんだから、うちの教会ももっと頑張らなければとか、あの人があんなに献金したんだから私ももっと頑張って、というんがそんなに悪いことですか。そら、貧しいて、しようにも出来ん人や教会があるのは分かってます。しかし・・・」
 「いや、分かっとらん」。静かに話を聞いていたニコニコ氏の柔和な笑顔が消え、少し上擦った声で熱血漢氏の言葉を遮りました。「そら君とは親子ほど歳が違うし、考え方も信仰も違うてあたり前や。しかし、今の日本の教会のあり方が、そう間違うとうとは僕は思わん。献金かて、個人の信仰の間題や。相手と競争してするもんやないやろ。その人と神との契約や。第三者が口をはさむ問題やない。今度のわれわれ信徒の献金かて、君も知っての通り、一人一人が自分の出来る額を書いて、直接司祭さんに渡すという方法をとったのもそういう配慮からや。しかし、集まった額を聞いてびっくりしたやないか。1300万円を超えたという。君も、奇蹟や!て言うとったやないか。ほんま奇蹟や。僅か20数人の貧しい信徒で・・・、うれしいやないか。誰がいくらしたか、そんなことどうでもええやないか。誰にも何にも言われずに、これだけ集まったんや。今の世の中、リクルートや財テクやと、金、金、金の時代になってしもうた。われわれがわいわい言うてる3千万円かて、東京の都心やったら僅かー坪の値段や。なんや世の中狂うとる。せめて教会だけはそんな世界になってほしいないんや。・・・しかし、もうこんな考え方、君らにとったら古いんかもしれんなぁ・・・」
 昨日降った初雪がまだあちこちに残る教会裏の眉山を見つめるニコニコ氏の目が、こころなしか少し潤んで見えました。
 二人の意見を聞きながら、私も大きな溜息をつきました。さっき、あれほど紅潮していた熱血漢氏の顔も、少し緩んでいます。どっちが正しいという問題ではないかも知れません。それにしても、こんな小さな教会を建てるのにも、色々な間題が起こってくるものです。

( 神のおとずれ・1989年1月号 )

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2014年10月21日

平成を迎えて - 教会建築物語

平成を迎えて

 わが国では天皇崩御により、1月8日に昭和から平成へと元号が変わりました。われわれキリスト者にとっては、キりスト生誕を紀元とする西暦に親しみを感じますが、日本人として生活している限り、嫌が応でも元号ともつきあって生活しなければなりません。
 昭和天皇に対する思いは各人各様ですが、とくに戦争を経験したキリスト者にとっては、その思いは複雑なものがあると思われます。戦争遂行のため、天皇を現人神(あらひとがみ)に祭り上げた国家神道の横暴の前に、敵国の宗教を信ずるものは非国民であり、多くのクリスチャンや教役者が投獄されました。当教会の長老古本正夫司祭も英国人宣教師に親切にしたという理由で35日間の留置場生活を経験されています。
 戦後、言論の自由や信教の自由が憲法で保証され、若い人は勿論、戦争を経験したキリスト者でさえ、私を含めあの忌まわしい体験を忘れかけようとしています。しかし、戦後40余年を経た現在、時代は確実に逆戻りしていることに気づかざるをえません。靖国神社法案による同神社の国家護持、スパイ防止法案による言論の自由への圧力など、昭和一桁迄に生まれた人々には、いつか来た道、そう、ちょうど昭和初期と今の時代が非常によく似通っているといいます。クリスチャンはこうした変化にいちばん敏感に反応すべきかもしれません。クリスチャンでもある長崎の本島市長の天皇の戦争責任発言に、あれほどの弹圧があびせられる時代になっていることに慄然とします。
 私は時々、学生時代に観たポーランド映画「灰とダイヤモンド」のーシーンを思い出します。ドイツ軍に占領されたポーランドの地下レジスタンスの物語で、ストーリーはほとんど忘れているのに、この場面だけは不思議と心に焼き付いています。一人の善良な市民が「自分は何もしなかったのに、なんでこんな苦しみにあうのか」と嘆くのを聞いて、レジスタンスのー人が「何もしなかったから、こうなったんだ。何もしないということは、あなたも加害者なのだ」と答えます。
 私たちは、いまー見豊かで平和な世界にどっぷりつかりながら、そして、いつまでもこんな時代が続くわけがない、いっかしっぺ返しがくるに違いないと思いながら、毎日を過ごしている人が多いのではないでしようか。私もそのー人です。日曜日の礼拝で、「世界平和のための祈り」を唱えれば、それで義務を果たしたような気分でいる自分に気付くことがあります。今の日本が、どこかおかしい方向へ進んでいるのを感じながら、何もしないで手をこまぬいてじっとしている自分に苛立ちます。
 戦争が終って、日本人がどん底の生活をしていた頃、若かった私達は大人に向かって、「どうして戦争が阻止できなかったのか」と詰問しました。ほとんどの大人は、「あの頃は、どうにもしょうがなかった」と、俯きながら答えました。いつの日か、今度は私たちが、子供や孫から「どうして、こんな時代になるまで、何もしなかったの」と、詰問されるのではないかと恐れます。そして、あの頃の大人と同じように、「いつ間にか、こんな時代になってしもうたんや」と、呟くのでしょうか。
 教会建築と、こんな話が何の関係があるのか、と問われるかも知れません。
 しかし、私たちの現在の古い教会の建物を思うとき、昭和という時代と切っても切れない関係を感じます。昭和の初め(3年)に建てられ、そして今年、昭和の終わりに取り壊されようとしています。戦争を挟んで激動の昭和をつぶさに見つめてきたこの古い建物を思うとき、感慨もひとしおです。そして、今年中に建つであろう新しい教会堂が、平成という時代と同時にスタートします。
 私はこの原稿をワープロで書いています。私のワープロで「へいせい」と打って、漢字変換のキーを叩くと、なんと皮肉にも「平静」と「兵制」の2つの漢字が打ち出されます。今の古い教会が建った昭和3年ごろ、国民が知らぬ間?に、「兵制」から15年戦争へと突入していきました。その頃とよく似ているといわれる現在、私たちは新しい教会堂を持とうとしています。今度は絶対に「平静」の方へ進んでもらわなくてはなりません。そのために、私たちも微力ながら、祈り、行動しなければならないと思います。
 昨年一月の信徒総会で、一信徒が発題した教会建築が、一年たった今、現実のものとなりつつあります。目標とする資金3500万円も、現在1200万円をなんとか超えそうで、あとー息です、現在、設計の追い込み段階で、順調にいけば4月に着工、夏の終わりか、秋には完成の予定です。建設中の仮礼拝所と司祭さんの宿も、信者さんのご好意で、なんとかなりそうです。6、7年空き家のままで、所々雨漏りのする長屋のー軒ですが、ありがたいことです。
 このように書くと、全てが順調のように思われるかもしれません。しかし、残念ながら私たちは、常に1つ、2つの間題を抱えながらここまで来ました。そして、今も抱えながら、なんとか前へ進んでいます。いつか喜びをともにする日がくることを祈りながら・・・。

( 神のおとずれ・1989年2月号 )

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2014年11月05日

設計について ー教会建築物語

設計について 

 さて、今回はもうーつの難題、設計についてお話ししましょう。
 毎月一回の建築委員会で、私たちは決してお金集めの話ばっかりしていたわけではありません。否、むしろ設計面に、はるかに多くの時間を割いてきました。といいますのは、資金集めの方は、目的は唯ーつ、少しでも多くお金を集めることで全員異論を挟む余地はありません。喧々諤々の議論をしたからといって、お金が天から降ってくるわけでもなく、唯々祈るのみですが、設計の方はそうはいきません。
 十人集まれば、十人それぞれに理想のイメージの教会像があり、しかも20年、30年と待ちに待った教会堂ですから、皆さんの熱の入れようも大変です。
 その上、1200万ちょっとの資金で、礼拝堂だけならまだしも、この狭い土地に牧師館をはじめ、ちょっとしたホールやバザーが開ける程度の厨房も欲しいし、できるだけ広い駐車場を確保したいというのですから、傍から見れば、まるで「舌きり雀」の欲張り婆さんの集まりに見えたかも知れません。
 しかし、そんなことにはおかまいなく私たちは議論を続けました。・・・と書けば、いかにも格好はいいのですが、なにせ建築にかけてはド素人の集団、議論百出のわりには堂堂巡りが多くなかなか前進しません。百分のーの縮尺に切った敷地大の画用紙の上に、「礼拝堂」「牧師館」などと書いたこま切れの紙片を、「これはここがええわ」「いや、こっちがええんでないで」と、子供のジグソーパズルゲームの様なことを何度繰り返したでしょう。そのうち「こんなん、なんぼやっとっても埒あかんなぁ」と溜息が出るようになりました。
 最初、私たちは、教区は無理としても、全国組織としての聖公会の中には、教会建築に関して色々とサゼスチョンしてくれる組織とか建築家がいるのではないかとアチコチに尋ねて見ましたが、「そんなん、聞いたこともないなぁ」という方ばかりで残念ながらどうもそういうものはないことが分かりました。
 ある教会委員は、徳島市内の本屋さん巡りをして、教会建築についての本を探しましたが、結局一冊も見つけることができませんでした。それを伝え聞いた、当教会の出身でもある神戸昇天教会の古本純一郎司祭から、ある日一冊の本が宅配便で届けられました。
 「教会建築」という日本基督教団の出版したなかなか立派な本で、教会の歴史から、現代の教会建築の在り方まで、それぞれの専門家数人が分担執筆したものです。日本中の著名な教会や礼拝堂の写真が、われわれの目を引き付け、教えられることも多々あったのですが、どうもスケールに大きな開きがありました。本は主に大都市の大きな、しかも教会堂だけの建築ですが、こちらは田舎の狭い、しかも牧師館やホール込みというのですから、一戸前の大豪邸と2DKのアパートぐらいの違いがあります。借りて文句をいうわけではありませんが、しかしこの本は、のちに依頼した設計者に読んでいただき、大いに役立ちました。
 私たちは最近建った、といっても十年前のもありましたが、徳島市内の他教派の教会も見学させてもらいました。ひょっとして、地元に素晴らしい建築家か、良心的な土建屋さんに巡り合えるかもしれないという、かすかな希望を抱いて回りましたが、残念ながらその願いも叶えられませんでした。しかし、どことも設計での工夫や資金面での苦労話を聞かせていただき、色々と参考になりました。なかには、資金面の質問をしたところ、「お金など問題ではありません。信仰さえあれば、全ては叶えられます」とそこの女性牧師さんから、立ったまま30分間説教をくらった委員もいました。
 「結局は、自分のことは自分でせえ、っちゅうこっちゃ」ということを改めて再確認して、再びジグソーパズルを再開しました。その頃には、もうみんなの膨らみすぎた希望も程々にしぼんで、いまをときめく新進気鋭の建築家安藤忠雄の設計したような斬新な教会や、有名タレントがよく結婚式を挙げる東京の霊南坂教会のようなチャペルはすっかりとあきらめました。
 「考えてみれば、3千万といえば、この辺でもちょっとした居宅程度の額やなぁ」と気付くのに少々時間がかかりましたが決して無駄ではなかったと思います。
 結局、われわれは基本的な要件だけを決め、それを土台に専門家に設計を依頼し、出来た設計図についてまた話し合う、という至極あたり前の結論に達し、急いで基本的な構想を練りなおしました。
 その結果、建物は2階建とし、2階に礼拝堂、1階に、牧師館、ホール等を配す。礼拝堂は、南の太陽と、美しい眉山の景色を取り入れるため東西に配し、牧師館はできるだけ広く取る。と書けば、はなはだ簡単で、なんでこんなことに何ヶ月もかかったのかと思われるかも知れません。しかもこの間取り、現在の教会によく似ているのです。
 こんなことで大丈夫なのでしょうか。といって今更引き下がるわけにもいきません。土井たか子さんじゃありませんがまさに「やるっきゃない」です。

( 神のおとずれ・1989年2月号 )

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2014年11月13日

光の教会 ー教会建築物語

光の教会

 設計で私たちがー番揉めたのは、礼拝堂を1階にするか、2階にもってくるかでした。
 言うまでもなく、礼拝堂はー階がいいのはみんな百も承知でしたが、なにぶんにも狭い土地にあれもこれもとなると、どうしても議論の別れるところとなります。
 とくに、これからの老齢化時代を迎え、さらには身障者たちにとっても、できるだけ礼拝堂は出入りのしやすいー階が理想的です。そこで私たちも、初めは礼拝堂をー階にもってくる条件で、あれこれと無い知恵を絞りましたが、なかなか良い案が浮かびません。
 書き遅れましたが、わが教会の敷地を簡単に説明をしますと、間口が東西に約15m、奥行きが南北に30mと丁度正方形を2枚合わせた細長い長方形で、面積が約130坪、北に道路、東西は民家に接していますが、南面は幸いに民家がかなり離れて建っているため、明るい太陽と、美しい眉山がー望でき、この南面をいかに取り入れるかが設計のーつのキーポイントとなります。
 ところが、礼拝堂をー階ないし平屋とすると、敷地の関係から、南北に建てねばならず、そうすると南面が活かせない上、平屋にすれば駐車場が取れず、2階建で牧師館やホールを2階にもってくると、どうしても礼拝堂の天井が低くなり、見栄えもいまひとつパッとしません。
 あちらをたてれば、こちらがたたず。結局私たちがー番議論し、苦心したのはこの間題でした。
 「このモータリゼイションの時代に、駐車場のない教会なんて時代遅れですよ」と、例の熱血漢氏。「確かに礼拝堂を2階にもってくると、お年寄りや身障者には不便ですけど、そんな時こそ皆で手を貸すなり、担ぎ上げたらええやないですか。どうせ借金を返すのに、バザーもせんならんだろし、イースターやクリスマスの祝会にもホールや厨房も是非必要なんやから、それらと牧師館をー階に、礼拝堂を2階にもってくるんがー番無難やないですか。もっともそれやと、今の建物と余り変わらんのが癪やけど・・・」。
 彼の意見に、大体の建築委貝は賛同しました。ベストではないが、限られた条件内では仕方ないであろう、という賛意でした。しかし、弱者に対する配慮に関しては、どうしても後ろめたさがつきまといます。
 「ひとこと私の意見を言わせてもろてもええかな」。いつもひっそりと聞き役に回っている例のニコニコ氏が、静かな口調で語りかけてきました。
 「まあ、年寄りの冷や水と思うて聞き流してください。私は決して皆さんの意見に反対ではありませんし、新しい教会は、皆さん方若い人がこれから築いていくんやから、もう老い先短い私らの言うことは、まあ、ミミズのたわごとと思うて聞いてください。
 先日私は、NHKテレビで「光の教会」という、ある有名な建築家とその弟子が、大阪の茨木市にある小さな教会に依頼されて礼拝堂を建てるというドキュメンタリー番組を見ました。彼は安藤忠雄とかいう新進気鋭の建築家で、そういえば以前近藤さんが冗談半分に、こんな人に設計してもらえたらなぁ、と言っていたのを思い出して興味を持って見始めました。ご多分に漏れずここの教会も土地は狭いし、予算も限られていたのですが、そやから引き受けたとこの建築家はいうのです。何よりも驚いたのはその型破りな設計でした。彼の建物は全てコンクリートの打ちっぱなしやそうですが、彼はこの礼拝堂の正面をかなり大きく十字架状にくり抜くのです。つまり、十字架の陳間を通して、向こうに空が見え、光が差し込んでくる設計なのです。
 コンクリートの型枠が外される時の場面は感動的でした。薄暗い礼拝堂に、少しづつ太陽の光が差し込んで、やがて光の十字架が浮かび上がってくる・・・それは素晴らしい光景でした。これが「光りの教会」という題の所以やったわけです。
 ところが、ここからが彼の本領発揮です。「よっしゃ、このままで行こう」と彼は言う。つまり、ここにガラス等入れずに、素通しで行こうというのです。「でも、それじゃ冬は寒いし、風や雨が吹き込んで・・・それに教会の方がなんというか・・・」と弟子が恐る恐る尋ねる。
 「しかし、これにガラスなんか入れたらぶち壊しやでぇ。それに信者さんも、一日中居るわけやないやろ。1時間や2時間、寒さなんか我慢したらええやないか」と彼は言うんです。
 この言葉を聞いた時、なんや頭をゴツーンと叩かれたような気がしました。彼はもちろんクリスチャンでもなんでもない。しかし、今のわれわれクリスチャンが失いかけている、教会や礼拝堂の在り方を、彼から教わったような気がしました。
 一体、教会ってなんやろ、と考えてみる。自分と神とが対話をするところ、聖書や牧師の説教を通して、また聖餐を授かって神に祈り、願い、懺悔する場所やないやろか。勿論他にも色々あるでしょうが、他のものは些細なことです。彼にいわせれば、なんで教会にホールや台所がそないにいるねん、なんで礼拝堂からの見晴らしが、そない良うないといかんのや、景色見ながら礼拝するのか、なんで駐車場がそない必要なんや、なけりゃ1時間や2時間、早う起きてバスか汽車で来たらええやないか、暑かったり寒かったらお祈りでけへんのか、そない言うんやないかと思った。
 いやー、ごめんごめん。つい力がいってしもうて、説教調になってしもたかもしれんなぁ。別に皆さんにいうとるわけやなしに、自分自身に問いかけとんです。決して彼の設計したような教会がええとは思わんし、それぞれに事情があるのやから・・・」。
 ニコニコ氏の話に、みんなどこか複雑な表情がうかがえます、私も、駐車場の話には、なんだかお尻がムズムズしました。しかし、確かに私たちは何か大切なものを忘れかけていたかも知れません。それにしても、教会を建てるということは、大変なことです。

( 神のおとずれ・1989年3月号 )

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「光の教会」
日本キリスト教団 茨木春日丘教会

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2014年12月14日

設計士決定 - 教会建築物語

設計士決定

 私たちはあれこれと設計を進めながらも、時々ふっとこれでいいのかと溜息をつきます。われわれ素人が集まっていくら頑張っても、所詮ありきたりの教会しか出来ません。別に安藤忠雄が建てたようなユニークな教会でなくても、またヨーロッパの伝統ある古い石造りの教会のようなものでなくても、やはりそこに跪けば自ずと厳粛な気分になり、神の存在が感じられるような礼拝堂、そんな教会を持ちたいのが私たちの夢でした。
 議論の末、設計を徳島市内の40才になるー設計士に依頼することに決めました。一委員の知り合いの、そのまた知り合いという全く教会とは関係もなく、また教会建築に関わった経験も全く無いという建築士で、最初名刺をもらった委員さんはー瞬目を白黒しました。会社の名前が「遊計画工房」とあったのです。
 「『教会』と『遊』とは、なんともおもろい取り合わせやなぁ」とー人の委員が呟きましたが、しかし名前に反して彼自身は非常に真面目な方で、最終的に決定する際も、誰一人反対する人はいませんでしたし、私も秘かに『遊』というネーミングが気に入っていました。
 私たちの様にあまり家を建てた経験の無い素人が設計すると、あれもこれもと欲張って、しかも出来るだけ便利で無駄がないようにと欲張るものですから、いざ出来上がって住んでみると何となく窮屈で、ゆとりの無かったことに気付くものです。その点、プロの方は、建物にはー見無駄と思われる遊びの空間の重要性を心得ているものですから、会社名に『遊』という言葉を用いた彼に、私たちには持っていない感覚が期待できるのではないかと思いました。考えてみれば、礼拝堂などというものは空間の建物の典型みたいなものです。
 そしてよく間題になるのが、合理性、実用性を優先する施工依頼者と、ゆとりや空間を重視する設計者との意見のくい違いです。前回の「光りの教会」ほど個性の強い建築家とは違い、わが建築家の設計は非常に穏やかで、善し悪しは別として私達の要求を十分理解して戴きました。さすがプロと思わしめたのは、2階まで吹き抜けになっているー階玄関ホールの広さと、一階中央部に設けた十畳程の中庭様空間です。われわれ素人には、勿体ないからいっそ部屋にでもしてしまいたいような空間ですが、じっくり考えると、その空間のお陰で周りの部屋に光とゆとりをもたらしているのに気付きます。
 ただ残念なことは、肝心の礼拝堂は、設計者の未知の世界であるため、最終的にはわれわれが細かいところは設計しなければならないということです。ところが私たちにしたところで、何ヵ所かの礼拝堂を知っているといった程度で、専門的な知識を持っているわけでなく、芳我司祭が集めてきたあちこちの礼拝堂の写真を見ては、あれがいい、これがいいと言い合っている程度なのです。
 自由に好き勝手に教会を建てることが出来るのは、素晴らしいことです。あまり上から、礼拝堂はああ建てろ、こう建ててはいかん、といわれるよりはるかにいいことです。しかし以前にも書いたように、小さな田舎の、資金も知識も乏しいわれわれの様なものが教会を建てるとき、色々と助言したり資料を送ってくれるようなアドバイザーや組織が、教区は無理としても管区には必要でないかとつくづく思います。これこれの広さの土地に、これぐらいの費用でこんな教会が建てたいといえば、最近建った全国の教会の中から、適当なものを選択し、その設計図、外観と内部の写真、詳しい費用、必要ならステンドグラスや鐘の費用や発注場所、欲をいえば最近の教会建築の動向等ご教示戴ければなんと助かることでしょう。これから教会を建てる方々のためにも是非努力して戴きたいし、そのために必要なら私たちの資料も喜んで提供させて戴きたいと思います。
 「ところで、君とこの教会建築はどうなっとんねん」とお思いの方も多いと思います。実は5月の連休明けには起工式が出来るよう努力していたのですが、色々な事情で少し遅れそうです。最も大きな原因のーつは、現在の建築ブームに煽られて、徳島の大工、左官、鉄筋工などの多くが、賃金の高い京阪神に流れ、おかげで地元で現在着工中の工事が大幅に遅れており、そのトバッチリがわが教会の建築にまで及んできているという次第です。現在、最終設計の段階で、この原稿が皆様の目に触れる頃にはなんとかスタートの目安が付いているのではないかと期待しています。「30年も待ったんやけん、ーカ月やニカ月位どおってことないわ」と強がりは言っているのですが、この間消費税は通るし、建築資材の値上げや、品不足等聞くと気が気でありません。ただでさえ予定の資金が集まっていないのに、建つ前から予算オーバー必至と聞かされて、ややへばり気味の委員一同、時々大きな溜息を吐いています。しかし、これぐらいのことで弱音を吐いていては、物心両面からご支援戴いている皆さま方に申し訳ないというものです。さあ、もうひとふんばりがんばろう!。それにしても教会を建てるということは、なかなか大変なことです。

( 神のおとずれ・1989年4月号 )

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