2015年01月25日

設計図出来上がる ー教会建築物語

設計図出来上がる

 教会建築が発議されて、早いものでもうー年半が過ぎ、やっと念願の最終的な設計図が出来上がりました。
 5月26日の夜、緊急の臨時建築委員会が開催され、といっても僅か数人でしたが、建築設計士が持ってきた全紙大のかなり分厚い例の青い設計図を前にして、やっとここまできたかという安堵感と、これからが大変だという不安と緊張が皆の顔に窺えました。
 設計図のほとんどは、基礎構図や鉄骨の構造など素人にはチンプンカンプンで、分かるものといえば平面図と正側面図位ですが、このわからん設計図が多いほど、なんか立派な建物が建つのではないかと思うところが素人の可愛いところでしょうか。
 「このわからんところも、一応ちゃんと目を通しておかんと後で後悔することもあるんでよ」と、数年前に自宅を建てた経験のある委員さんが自分の経験談を披露すると、他の委員さんは「ふーん」と感心しながらも「ほな、そっちのほうはよろしゅう頼むわ」とその委員さんに押し付けて、早速平面図の説明を受けました。
 何度も自分たちで検討を重ねてきた間取りなのに、こうして正式に設計図として目の前に出されると、どこかよその教会のような気がして、設計士さんの説明にただ「ふんふん」とか「はあはあ」とか、溜息混じりの返事が出るだけ。「何かわからん所があったら質問してください」といわれても、みんな「ふーむ」と設計図を見つめるばかりです。
 「今のこの古い教会に比べよったら、なんやこの設計図のみんなが良う見えて、文句や言よったらバチが当たるような気がするなぁ。しかしほんまにこんな教会が建つんやろか」と、例の熱血漢氏が感慨深そうにつぶやきました。
 「そんな感傷的なこと言よったらあかん。われわれは教会員みんなの代表者としてここに集まっとんやから、ちょっとでも気になるとこがあったら、今のうちに言うとかな、後で後悔するでよ・・」と、さっきチンプンカン設計図を押し付けられた委員さんが、一寸声を上擦らせながら注意します。
 「あのぅ、ホールの押入れが、これではやっぱり狭いと思うんですけど、なんとかならんでしょうか」とQ夫人の発言。実は、初めに建築委員を決めた時全員が男ばかりでしたので、これではいけないから、出来るだけ委員さんのご夫人も参加して戴くように決めました。実際建物を建てるとき、女性の感覚は必要欠くべからずものがあります。否、むしろ男性ばかりで建てた建物より、女性だけで設計した建物の方がはるかに住みやすく素晴らしいこと受け合いです。とくに当教会の芳我司祭は独身であるため、家庭的な感覚を必要とする牧師館の設計にも是非女性の参加が必要でした。
 この呼掛けに2、3のご夫人が参加して下さいましたが、なかでもQ夫人は非常に熱心に出席して下さり、女性でないと気付かない点を数々指摘して戴き大変助かりましたし、これから教会が建つまで頑張って戴かなければならない人です。時にはご主人のQ委員と意見が対立して、2人で大いにやり合う場面もあり、さながら家庭での夫婦喧嘩もかくありなん、と微笑ましく見学させて戴くこともありました。
 この「押入れが狭い」という指摘も、いつも出し入れしている女性でないと気付かない点で、早速検討して戴くことに決めました。
 「ところで、費用の方は予定よりどれぐらい増えそうでしょうか」。会計担当の委員さんがおずおずと尋ねました。実は設計図の説明を聞きながら総建坪が90坪を超えているのを見て皆が気になっていたのです。最初われわれが考えていた案でも、予算から逆算してせいぜい75から80坪が限度ではないかと考えていたのに、最終設計図ではドーンと90坪を僅かですが超えているのです。もっともわれわれがあれもこれもと無理を言った所為もありますが、だからといって予算を無視してそんなことに応じて戴いてもこちらとしては困るのです。
 「さあ、最終的にはY君に見積もってもらわんと分からんのですが、少なくとも材質的には最低の物、といったら悪いですが、出来るだけ安い物を使わんといかんと思います」。随分と言いにくいことをはっきりと言われましたが、真面目な顔で朴訥と話されると反論する人もなく「そらそーや、これだけのもんあんな予算で出来るわけないわなあ」と相づちを打つ委員も出る始末です。
「いえ、必ずしも安いものを使ったから、安っぽい建物になると言うんじゃなくて、安いものを使っても、色合いとかの工夫次第で決して引けをとらない物も出来るのです」と設計士さんの追加説明に、調子にのって熱血漢氏が「つまり少々器量が悪うても、化粧でなんとかなるっちゅうことかいな」と言ってQ夫人にジロリと睨まれる一コマもありました。
 結局、全員一致でほぼこの最終設計が了承され、今度は施工責任者であるY氏に託され早速見積りの作業に入って戴くことになりました。Y氏は設計者と高校の同級生で、一応は一級建築士の資格は持っていますが、どちらかといえば現場監督がピッタリという風貌。気のおけないさっぱりとした性格の人です。 願わくば、あまり予算をオーバーしないことを祈りながら・・・

( 神のおとずれ・1989年5月号 )

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2015年02月15日

見積り決定 ー教会建築物語

見積り決定

 慌ただしい1ヵ月でした。ついにあの古い教会は壊され、新しい教会へのスタートを切りました。物事が動きだすとこんなに早いものか、一年半もの準備期間も決して無駄ではなかったんだなあ、と感慨もひとしおです。
 順を追って簡単に経過を記してみましょう。
 6月17日の夜、いよいよ見積りが出来たということで急濾建築委員会が召集されました。建築を担当し見積りの責任者であるY氏、設計のH氏を含め十名が集まり、蒸し暑い梅雨の小雨降る中、狭い六畳の間は蒸せ返らんぱかりです。
 ジャジャーン! ついに見積り額発表です。「3650万円也!」。手渡された見積書の額を見て、しばし委員さんの声が静まり返りました。「ふーん」と腕を組んで考え込む人、バタバタとせわしなさそうに団扇を動かしながら天井を見つめる者、周りに遠慮しながらタバコの煙をくゆらす者、みんな思い思いにいま提示されたこの額にどう反応すべきか思案顔です。
 「あのぅ、この中には椅子とか聖卓とかの付属品代も含まれているんでしようか」。やっと一人の委員が質問しました。
 「いいえ、これは建物だけの見積りです」。温厚な設計士とは対象的に、現場監督風のY氏の返事はあっさりしたものでした。「ということは、この上にまだ備品代が上乗せされるっちゅうこっちゃなぁ」と誰かが当たり前のことをつぶやきます。
 実は、以前にも書いたように一年余り前に計画した時の額は3500万円でした。しかもこの中には椅子などの備品や、仮の礼拝堂の借り賃その他一切合財を含んでの話で、従って建物自体はせいぜい3200万円位と算段していました。それが450万円もオーバーされていては「ハイハイ」と返事するわけには参らんわけです。
 「とりあえず、簡単に内容を説明しましよう」と、Y氏が40頁余りの分厚い見積書の説明に入りました。設計図のときもかなりチンプンカンがありましたが、この見積書の建築用語や材料等のチンプンカンも相当なものです。しかし用語や材質は説明でなんとか理解が出来ます。分からんのは、その値段です。各材料毎に、数量、単価、合計値が書かれていますが、それが高いのか、安いのか、それ相当の値段なのかサッパリ分からないわけです。本当は複数の建築業者に見積りさせて、それらを見比べて検討するのが本筋なのですが、当教会の場合は先に建築担当のY氏が決まり、Y氏の紹介で設計士のH氏が設計を担当して戴いたという事情があるため、全面的に彼を信頼するしかないという、第三者から見れば少々危なっかしいやり方になったのですが、彼を紹介した教会委員さんと、Y氏を囲んでの2、3回の面談で、彼なら大丈夫だろうとの建築委員全員の了解のもとでこういうやり方になったのです。
 1時間余りの説明が終りかけて最後の頁にきた時、「ヘー」とも「ほー」ともつかぬどよめきが起きました。諸経費の最後の項に「消費税 97万6千円也」とあったのです。「もう一年早かったらなあ」とか「僅か3%でもこんな額になるんやなあ」と溜息とともにつぶやきが聞こえます。1億7千万円もの大金を金庫ごと捨ててしまうような宗教団体には税金をかけても、われわれのように年金生活者のような弱い教会にまではかけて戴きたくないものですが、諦めるより仕方なさそうです。
 結局、なんとか3500万迄に納まるようにと色々検討し直しました。まず、槍玉に上がったのは教会前の二本の「ケヤキの木」代40万円也。確かに白い教会に青々としたケヤキの緑は絵になります。しかし懐の貧しいわれわれの目には贅沢品と映ったのです。設計者のY氏の目がこころなし淋しそうでした。私が逆の立場だったとしても「この心の貧しき者どもよ」と心のなかで怒鳴ったことでしょう。ごめんなさいネ。次に牧師室の飾棚21万円也。これは丁度その裏に当たるホールの押人れの拡張によるトバッチリで仕方なく?カットさせて戴いたというもの。今度は芳我司祭の目がこころなし残念そうでした。ごめんなさネ。その外、礼拝堂の東の窓をカットしたり、都市ガスの配管をプロパンに変えたりしてなんとか予定額にこぎ付けたのは夜の11時近くでした。

( 神のおとずれ・1989年6月号 )

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2015年03月01日

起工式 ー教会建築物語

起工式

それからの行動は急でした。
6月26日の礼拝後、臨時の受聖餐者総会が開かれ、これまでの経過を報告し、全員の賛同を得たのち、翌日の27日に正式に契約に調印。同日から28日に掛け引っ越し。
書き忘れたいましたが、心配していた仮の礼拝堂もちゃんと神様が手配して下さっていました。
当教会の信徒で78歳になるM夫人が数年前まで住んでいた二軒長屋の一軒ですが、心臓を悪くされご長男宅に同居されて以来空き家のまま放置されていたのを、快くしかも無料で貸していただけることになったのです。現教会からも徒歩で5分、閑静な住宅街にあり、1階の6畳と8畳の間を一緒にすると狭いながらも何とか礼拝堂の格好もつき、2階も牧師室として結構広く、何よりも助かったのは、Y氏の配慮もあって改築代が無料であったことでした。
7月2日の礼拝が初めてそこで持たれました。蒸せ返るような梅雨の暑さに、みんな汗びっしょりでしたが誰一人文句をいう人はいません。本当にありがたいことです。
そしてわずか2日間でアッという間に解体された会堂の跡で、7月9日の日曜日、待ちに待った起工式が行われました。
前日までの土砂降りの雨が嘘のように薄日も射す中、30人余りの信徒がそれぞれの思いを胸に式を見守り感謝の祈りを捧げました。その中に特に感慨もひとしおであったであろう2人がいました。
1人は昭和元年に徳島に赴任、昭和3年の新築から現在までの教会を見届け、今年86才になる古本正夫司祭。そして、もう1人は昭和5年にこの教会で受洗し、以後戦中戦後教会委員として中心的な働きをし、悲願の教会建築を前に2年前に脳卒中で倒れた武市捷委員です。不自由な身体を家族の方が支えて参列して下さいました。話しかけると目にいっぱいの涙を溜めて答えようとします。言葉ははっきりしなくても、もうそれだけで十分理解し合えます。「みんな、僕の分まで頑張ってくれよなあー」そんな思いがわれわれ一人一人胸にひしひしと訴えてきます。そして、現在の建築の中心になって黙々と頑張って下さっているのがその息子さんご夫妻です。なんという神のご配慮でしょう。
何はともあれ、皆様の温かいご支援と祈りに支えられて、やっと本格的なスタートを切ることができました。感謝です。

( 神のおとずれ・1989年7月号 )

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2015年03月09日

嬉しい便り −教会建築物語

嬉しい便り

引っ越しの準備で慌ただしかった6月の終わり頃、1通の便りが建築委員会に届きました。

「主の平安をお祈りいたします。うっとうしい雨が続いておりますが、司祭様はじめ教会の皆様お元気でいらっしゃいますか。
私ごとですが、昨秋父を亡くしました。遺産相続があって6月中旬に一部送られて参りました。父は建築の基礎工事を仕事として、その仕事を愛し、誇りを持って一生懸命働いておりました。その父を通して神様が与えてくださった遺産の一部を、まず一番に建築のために献金させていただこうと思っておりました。
「神のおとずれ」で貴教会の建築のことを知りましたので、主人の同意を得てわずかですが献金させていただきます。もし必要とされていましたら、来年も同額献金させていただきたいと思っています。
送金の都合上名前を表記いたしましたが、献金者名はお忘れくださいますよう切にお願いいたします。
貴教会の上に主の豊かなご祝福をお祈りいたします。                                 かしこ  」

しばらくして、なんと100万円の大金が送られてきました。送り主は神戸市にお住いのKさんという一女性信徒の方からでした。Kさんが当教会と縁もゆかりもない方と知ったとき、私たち建築委員はもとより、信徒一同大きな感動を覚えるとともに、身の引き締まる思いで一杯でした。
「なんでこんな名も知らぬちっぽけな田舎の教会のために、そんな大金を捧げていただけるのだろう」という思いと、「はたして私たちの教会がこういう恵みを受け入れるに相応しい教会であろうか」という複雑な思いもありました。しかし、こういう思いは実は自己中心的で、信仰的ではないのかもしれません。
その思いを一層強くしたのは8月に入って間もないころ、これまた神戸の一信徒から匿名で300万円の献金が送られてきた時でした。
「えーっ」と言ったきり、しばらくみんな言葉がありませんでした。
わずか1ヶ月余りで400万円のもの献金に嬉しさはもちろんですが、なにか頭を「ガーン」と叩かれたような気分がしました。
私たちは今まで、自分たちの教会を自分たちで建てようという意識があまりにも強かったのではなかろうか。しかし今になってそういう気負いは実に傲慢な思いであったことに気付かざるを得ません。
これまでに協力くださった教会は神戸教区を中心に海外を含めて50にも達し、個人献金も優に200人は超えていると思われます。そしてその総額は1,400万円にも達しようとしています。
最初私たちは、当教会以外からの目標を一応1,000万円としました。しかし当時、誰一人この目標が達成されるとは思ってもいませんでした。
「まあ、こういう募金は3、400万円が相場やで」と、あるベテランの司祭さんから聞かされていたし、昨年10月の第1次募金締め切りまでに集まった教区外からの募金額が18教会から14万円余りという散々たる結果を前にしたとき、「これは400万円も無理かなあ」と思ったものでした。ところがどうでしょう、目標を400万円も突破するとは・・・。
「祈りは聞かれるんやなあ」と、熱血漢氏が感慨深そうにつぶやきました。
「そう、祈りは力や。神様のご計画はわれわれには計りしれん」とニコニコ氏。
「これだけ多くの人々からこれだけ沢山の支援をいただくと、なんや自分の教会は自分の力で、と片意地を張っていた自分が恥ずかしいなってくるなあ。自分の教会やなしに、みんなの教会やないか。自分の力で建てとんやなしに、たまたまそばにいるから建てるのを手伝っているだけやないか。最近そない感じるようになって・・・そしたらなんや肩の荷がスーと降りたように感じて・・・もっともそれほど肩の荷を感じていたわけやないけど」と、少し照れながらの熱血漢氏の言葉にみんな頷きました。
四国は徳島の信徒わずか30人余りの小さな教会の中だけで育ってきた私たちが、教会堂の建築という大きなイベントを通して、今まで交わったことのない神戸教区の信徒の皆さん、否、全国の協力して下さった信徒の皆さんの大きな愛に包まれていることをひしひしと実感できたことは、何物にも勝る大きな恵みでした。そしてこの教会が神戸教区の、いや全国の聖公会の信徒の皆さんのものであることが実感できたのも大きな収穫でした。
8月の中頃、また一つ嬉しいニュースが届きました。
前回のこの欄を読まれたご婦人が、費用の都合でカットした2本の欅の木(約40万円)を寄付したいとわざわざ電話をくださったのです。そのご婦人からは匿名で沢山の献金をしていただいた上での重ね重ねのプレゼントに私たちは大喜びしました。きっと設計士のH氏も喜ぶことでしょう。
出来上がったらぜひ見に来てください。
9月に入っていよいよ鉄骨も組み上がり、教会らしい姿を現しました。これから毎日曜日が楽しみです。

( 神のおとずれ・1989年8月号 )



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2015年03月23日

苦心のアイデア ー教会建築物語

苦心のアイデア

 12月中旬の完成を目指して、わが教会の建築は現在真っ只中といったところです。今年の夏は殊のほか雨が多かったために出足を挫かれ、それを取り戻すのに現場監督のY氏もかなり苦労をしているようです。冗談半分に「する事があったらいつでもわれわれ信徒が手伝いに行きまっせ」と声をかけてみましたが、「怪我されたら元も子もあれへんから結構結構」と体よく断られました。
 月に1、2度開く建築委員会も次第に内容も細かく具体的なものになってきました。屋根の色、床板の材質、外壁の色、スイッチや電源の差込みの位置、トイレの便器のカラー等など、小さな材質見本やカラー見本を並べて「あれがいい、これがいい」と言い合いながら、なんとなく無難なところに落ち着いていきます。しかしこの「無難な」というのが曲者で、無難な材質無難な色は、ありふれた、没個性に通じ、どうしてもユニークで個性的なものからはかけ離れていきます。焦茶色の屋根に白い壁、とくればそこら辺の最近のプレハブ住宅の典型ですが、わが教会もどうやらその辺の色に落ち着きそうで、これも仕方ないことでしょう。
 設計士のH氏に「何か、これだけは譲れんいうもんがあったら、何でも言うて下さい」と問いかけると、温厚な彼はニコニコしながら「みんなまあまあの色やし、ええんやないですか」と、褒めとるのか諦めているのか分からんような返事が返ってきました。しかし彼の心境も分からんわけではありません。
 われわれが、あれよりもこれ、これよりもあれ、と少しでも良いものを希望すると、必ず費用のアップが絡んできて、「へいへい、費用さえ追加してくれたら、どんなもんでもしまっせ」と建築担当のY氏にジロリと睨まれるとあとが続かなくなり、「物言えば、唇寒し・・・」じゃなく、「物言えば、懐寒し 秋の風」といったところです。
 しかし、折角建てるのに何か特色を特ったものが欲しいなあ、ということで色々無い知恵を絞ってみますが、どうしてもさきだつ物に阻まれてしまいます。その中をなんとか工面して、と考えているのをこっそりと2、3紹介しましよう。余り大きな声で言えないのは、実現するかどうか心許ないからです。
 まず、現代はハイテクの時代で、最近建つ建物はインテリジェントビルといってハイテクを駆使した物が大はやり。わが教会も負けてはならじと色々考えました。
 まずスイッチーつで教会の塔から鐘の音が、聖歌の調べにのって流れます。礼拝堂には前と後に二個ずつ、合計四個のスピーカーから荘重なパイプオルガンの聖歌が流れ、聖卓の横には簡単なボタン操作で動く電光掲示の聖歌番号板が輝いています。聖卓の上の畳一枚程の大きなステンドグラスは、徳島では指折りの女流画家のデザインによるもので、礼拝堂の後の広い壁面には百号に近い油絵の聖画が二点、壁画のごとく信徒の心をなごませる。礼拝の模様はいつでも階下のホールのテレビにスイッチーつで映しだされ・・・・とくれば、田舎の教会にすれば一寸気の利いた、芸術味の溢れたハイテク?教会を連想させるではありませんか。
 「なんじゃい。みんな夢か」とお叱りを賜わりそうですが、いえいえ決して夢ではなく、半分以上は実現可能なのです。しかしよくよく読んで戴ければお分りのことと思われますが、一つ二つはそうせざるを得ない苦肉の策なのです。
 まずは教会の鐘。計画当初は本物の鐘を吊すべく立派な塔を作ってはみたものの、注文生産の鐘はわれわれの懐事情からすれば殊の外高く、当てにしていたどこかよその教会の使い古しの鐘にも巡り合えず、結局空っぽのままではしのびないということで塔の中にスピーカーをぶらさげ、下からアンプで既成の鐘の音(が有るのか無いのか知らないが)をエンドレステープで流そうではないかという、まさに苦肉の策なのです。

( 神のおとずれ・1989年9月号 )


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