2015年03月28日

わが教会のモーツアルト ー教会建築物語

わが教会のモーツアルト

 また、4チャンネルのステレオからパイプオルガンの荘厳な調べが・・・といえばいかにも格好はいいのですが、これにもわけがあるのです。もちろんわが教会にパイプオルガンなどあるわけもなく、30年以上も前の古びた足踏みオルガンが1台あるだけなのですが、悲しいかな、わが教会にはれっきとしたオーガニストがいないのです。
 いつもオルガンの伴奏で聖歌が歌える教会の方々には少し理解ができないかも知れませんが考えてもみてください、オルガンの伴奏なしで、もちろん指揮する者もなく、上は80過ぎのお婆さんから下は坊主がりの中学生まで十数人の老若男女が一斉に歌を歌い始めたらどうなるかを。
 まず歌い出しの主導権はどうしても人生経験豊か、この世に恐いものなし、わが道を行くという老齢のご夫人が甲高い第一声を発しますと、遠慮深い他の人々はそれに唱和せんと必死に努力します。しかし大抵の場合、最初の音から調子っぱずれであるからして、高い音でスタートなどされるとその曲の高音部に達したときなどは、みんな目を白黒しながら声、というよりも音を絞りださねぱならないこともたびたびです。音楽感覚のある?若い信徒がこれではならじと一所懸命途中から正常(に近い)旋律に戻さんと努力しますが、わが道を行かれるご夫人も敗けてはならじと一層大きな声で歌い進まれ、遠慮深い他の信徒は一体どっちについて歌ったらいいのかと顔を見合わせながらウロウロするばかり。歌い終わって皆なホッと溜息をついたりするのです。
 しかしこんな教会に初めて来られて最初にこんな素晴らしい?聖歌を聞かされたら、一体どんな気持がするでしょう。素晴らしい聖堂、荘厳なオルガンに合わせて歌う聖歌隊の響きなどを求めてきた人は腰を抜かしてまず二度と来ないでしょうね。それに比べればわが教会の信徒は忍耐強いものです。決してそんなことにはへこたれません。もっとも半ば諦めているのですが・・・。それにしても時々思うのです、天の神様はわれわれが歌っている間、いたたまれなくなってそこらへんに散歩に出られたりしているんではなかろうか、などと。
 ちょっと話が横道に反れましたが、実はわが教会にはれっきとしたオーガニストはいないと書きましたが、れっきとしないオーガニストなら1人いるのです。聞くところによると、学生時代にバイエルの60番位迄を独学でマスターしたとかで、無いよりはましだろうと持前の心臓だけをたよりに片手弾きから始め、慣れとはひどいもので(失礼)今ではシャープやフラットの1つや2つ位まではなんとか両手で弾きこなし(?)、3つや4つなら左手は適当に誤魔化しながら同じ鍵盤をプカプカ押して右手に集中し、5つ以上は左手は完全にお手上げで右手だけでメロディーだけをしっかりと、となんとかうまく使い分け、わが教会にとってはまさにモーツァルト的存在なのです。ところがこのモーツァルト氏、仕事が忙しい(時々日曜日にゴルフ場で見かけるという人もいるのですが)とかで毎日曜日とはとても無理、また少し遠方から来るため遅刻することもしばしばで余り当てにはならないのです。(ごめんなさいね。しかしこんなことを書いても怒らないところが、彼の心の広いところです。)
 そこで考え出されたのが今はやりのシンセサイザー。ボタンーつでピアノやオルガン、それにパイプオルガンなど百もの楽器の音が出せ、前もってロムカードという名詞大のカードにその日歌う聖歌を順番に吹き込んでおき、当日再生器にかけるとボタンーつで荘厳なパイプオルガンのステレオ伴奏が・・・という仕掛け。「まあ、なんと味気ない」などと笑わないでください。無伴奏のことを考えれば、これでも天と地の差があるのですから。もっともこれを考え出しだのが例のモーツアルト氏で、その魂胆が見え見えなのが気になるし、結局吹き込むのも本人であることを考えますと、必ずしも荘厳な調べが流れてくるという保証もなく、相談を受けた委員さんも複雑な心境で成り行きを見守っているといった状態です。果たしてうまくいくのでしょうか。

( 神のおとずれ・1989年10月号 )

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2015年04月11日

日本のキリスト教 ー教会建築物語

日本のキリスト教

 11月に入って、ポカポカ陽気の小春日和に恵まれ、建築も何とか順調に進み外壁の枠付けも終って周りの足場が外されるとその全容がくっきりと浮かび上がり「ああ、ついにここまでやったか」と感慨もひとしおです。現在内装が急ピッチで進められ、あとは前庭に欅の木を植えたり駐車場を整備したり、順調に行けば12月中頃には完成、クリスマスにはわれわれの歌う素晴らしい?聖歌が新しい聖堂に鳴り響くことでしょう。
 教会の前を通り過ぎる人の中にも、時々足を止めて興味深そうに眺めている人もいます。
これでやっとここが教会なんだ、と看板を見なくても分かってくれるでしょう。さる日曜日の礼拝後、数人の信徒が帰りぎわに立ち寄って新しい教会を眺めていると、通りすがりの中年の男性が近づいてきて一老婦人信徒につぶやくように語りかけてきました。
 「ええ教会が建っちょるなあ。だいぶアメリカからお金が来たんやなあ」と。はじめ何のことかとポカンとしていたそのご夫人、その意味が分かるや「なに言うとんですか。これはみんな私たち信徒の力で建てとんです。アメリカからや一銭も貰っていませんよ」と、やゝ強い口調で答えました。男性はその語気に少し驚いた様子で、なにやらぶつぶつ言いながら立ち去りました。ご夫人も少し興奮気味でした。
 しかし、こんな些細な会話からも、私たちは色々と学ぶことが出来ます。まず多くの日本人にとっては、まだキリスト教というのはアメリカや西欧の宗教であるということです。従って今だに日本の教会は、外国から沢山の援助を貰って成り立っていると思っている人が多いのではと思われます。もっとも、60年余り前の薄汚い、まるで幽霊屋敷のような建物が、いきなり白亜の教会に変身しているのですから、このおじさんならずともどこからか大金が入ってきたのではと勘繰られても仕方ないかも知れません。
 日本に土着しないキリスト教。この問題は内外のキリスト教関係者や宗教学者等の課題であり、疑問でもあります。一体どれほど多くの外国の宣教師やお金が日本の宣教のために費やされたことでしょう,にもかかわらず、今だに日本人口の1%前後しかキリスト教信徒はいません。隣の韓国のクリスチャンは人口の2、3割とか、カソリック信徒だけでも軽く200万人を越え、今なお洗礼を受けるのに多すぎて順番待ちをしているという最近のニュースを聞くと、一体どうなっているのかと素人の私でも思います。そして行き着くのが結局「日本人の国民性」となるのです。日本でも明治以降2、3度キリスト教の流行った?時期がありました。そしてわれわれの多くの人が体験したのが終戦後の流行です。
 わが聖テモテ教会も例外に漏れず、もっともインマヌエル教会が戦火で焼けたためもありますが、日曜日の礼拝は狭い二階の礼拝所に溢れ、階段までぎっしりといった状態でした。当時イギリスの婦人伝導師バーグス師が教会を助けられ、英語や西欧の新しい文化や空気を求めて多くの学生や一般の人が押し掛けてきました。その中から今も当教会の中心になっている信徒や聖職者になった人もいますが、残ったものはほんの一握りでした。時が過ぎ、別に教会へ行かなくても英語が学べ、外国の文化や雰囲気が書物やニュースで学ぶことが出来、だんだんと生活が豊かになると見事なまでに教会への足が遠ざかっていきました。言葉は悪いかも知れませんが、外人宣教師はまるで客寄せパンダであったかのように。
 あの時、キリスト教にはどうしてあれだけの飢えた人々を引き付ける力がなかったのか、日本人にはどうしても肌に合わないものがあったのか、宣教が誤っていたのかなど色々議論されたと思われますが、つまるところ日本人の神に対する考え方、感じ方かもしれません。一神教より八百萬の神の多神教、神より自然、そういった感情が何百年、何千年の間培われ、脈々と受け継いできた血というものの凄さは、理屈では拭い去ることは出来ません。私自身、古いうら悲しい日本の民謡に感動し、美空ひばりの演歌に涙することがあります。決してクリスチャンだから変だというのではありません。日本人の日本人のためのキリスト教、神学があってもいいのではと思ったりします。
 私が中学生の時、バーグス師から映画を見に行こうと誘われ喜んでついて行きました。ところがその映画というのは、当時行なわれたエリザベス女王の戴冠式のドキュメントフィルムだったのです。退屈紛れに隣のバーグス師の顔を覗くと、なんと涙を浮かべて喰い入るように見ているではありませんか。あとでその映画を見るのが3回目と聞いて2度驚きました。やっぱり遠く故国を離れて淋しいのだなあ、と初めは思っていたのですが、物心が付いてその後の言動をよく見ていると、まるで日本の田舎のおばあさんが天皇陛下を慕うのと同じ感情を彼女はエリザベス女王に抱いているのを知って、潔癖だった私は変な嫌悪感を覚えた記憶があります。やっぱり彼女はイギリス人であり、やっぱり私たちは日本人なのです。
 熱心なカトリック信者であった母に、時にはむりやりに教会に連れて行かれ、いつのまにか洗礼を受けていたという作家の遠藤周作氏は、物心付いた頃の心境を次のように書いています。
「私は、母親が買ってくれた洋服を、そのまま着せられたということになろう。ただしその洋服は、私の体の寸法に合わず、あるところは長く、あるところはダブダプで、またあるところは短かった。洋服と自分との体の不釣合いで、ある年令以上に達して私を絶えず悩ました。」
 信仰の厚い人は別として、私のようにいつも寸法の合わない洋服を気にしながら、脱ぐことも出来ず、だからといって自分で仕立て直す腕も持たない人は多いのではないでしょうか。今の日本の教会に、各人に合った洋服を仕立て直せる力があるのでしょうか。それともやはり既成の服にわれわれの体を合わせなければならないのでしょうか。
 遠藤周作氏は色々な壁にぶち当たったのちに小説家になる決心をし、生涯のテーマとして「私にとって距離感のあるキリスト教を、どうしたら身近なものに出来るかということ、それは母親が私に着せてくれた洋服を、もう一度、私の手によって仕立て直し、日本人である私の体にあった和服に変える」という難題を選び、数々の問題作を世に問うて来たのです。
 文学だけでなく、美術や建築等にもこうした人々が出てきてほしいものです。この田舎の小さな教会を建てる時にも、最初は是非この徳島という風土にあった日本人の血の流れた教会が建てられないものかと色々思案してみました。しかしわれわれにはそんな力はなく、周りを見回してもそうした援助を差し伸べて戴く方にも出会えませんでした。もっとも費用という大きな障壁があったためもありますが。
 そして結局、これ迄の日本人が描いてきたイメージ通りの教会、白い建物の真中に尖塔がありその上に十字架が、という教会になってしまいました。でも、これで良かったなあ、という思いもあります。あるカトリックの信者さんが、小学校に面して建っている私たちの教会を見て、「毎日何百人の小学生が、この教会を眺めながら学校への行き帰りをするだけでも、この教会の意味があると思う」という言葉を戴きました。何となく勇気づけられる言葉でした。いよいよこの物語もラストが近付いてきました。

( 神のおとずれ・1989年11月号 )

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2015年04月23日

ついに完成 -教会建築物語

ついに完成

ついに夢にまで見たわが徳島聖テモテ教会が、多くの方々の温かいご支援と祈りを持ちまして無事完成しました。1989年12月24日のクリスマスイブの朝、真新しい礼拝堂で初めての聖餐式が厳かに行なわれました。
 「きよしこの夜」の鐘の音が、教会の尖塔から鳴り響き、40名近い信徒たちがそれぞれの感慨を胸に感謝と祈りを捧げ、賛美の歌を高らかに歌いました。芳我司祭の声が緊張のためか少し上擦っていたり、信徒から寄付された百万円もする、わけの分からないノブが十個も付いた真新しいオルガンに気負いすぎたのか、例のモーツアルト氏がしょっぱなの聖歌を勘違いして全然違う歌を弾き始めるというハプニングもありましたが、それだけ皆この日を待ちわびていた証だったのでしょう。
 わが老若男女混声聖歌隊も、天井の高い新しい礼拝堂では適当にエコーもきいて朗々と響きわたり、色鮮やかなステンドグラス、南側全面の透明ガラスサッシからは素晴らしい冬の眉山のパノラマが展開し、私たちが望んでいた礼拝堂に少しは近づけたのでは、と感慨もひとしおでした。
 残念ながら古本正夫老司祭は股関節捻挫のため出席されていませんでしたが、武市捷委員は不自由な身体を家族の方に抱えられながら出席され、感激の涙を流されていました。私たち一人一人もそれぞれに込み上げてくるものがあり、目頭を押さえたり、聖歌の声を詰まらせたりした人々も見受けられました。
 明けて今年は1990年。明治23年、1890年に佐古講議所として発足した徳島聖テモテ教会は、目出度くも今年創立百年を迎えます。その記念と献堂式を兼ねて、この4月の終りに記念式典を予定しており、それまでに精一杯教会のお化粧をしたいと思っております。

( 神のおとずれ・1989年12月号 )

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2015年05月17日

花壇と絵 -教会建築物語

花壇と絵

 教会の前に植わるはずであった欅の木は、もっと素晴らしい色々な庭木になって、きっと四月の終り頃には色鮮やかな緑と花をつけ教会を一段と引立ててくれることでしょう。
 実はある教会委員の従兄にあたる方が、大学の造園科を出て、教会の近くで庭園デザイナーをしているという話を聞き、庭も狭いし資金も乏しいのを前提として相談をかけてみました。
 ところが聞いてびっくり、「実は私たち夫婦は約20年前にこの教会で結婚式を挙げた記念すべき教会です。多分最初で最後の結婚式だったのではないでしょうか。今度庭を造るのなら記念に是非私にやらせてください」と。あんな古くて狭いタタミの上で結婚式を挙げた人がいたのを覚えていた人は殆どいませんでしたが、それにしてもそんな素晴らしい人がこんなに身近にいたとは。しかし、猫の額の様な狭い土地に、僅かなお金でそんなに張り切っていただいても果たして十分に腕を発揮できるのだろうか、私を含めどちらかといえば花より団子を得意とする委員の面々、彼には失礼でしたが正直言って余り期待を懸けていませんでした。
 ところが二、三度話を聞き、設計図の説明を受けているうちに、彼の熱意もさることながら、一見簡単に見える木々の選択や配列にそれぞれが意味を持ち、細やかな配慮がなされているのを知り、自らの無知を恥じ、大きな感動すら覚えました。四季折々にそれぞれの花を付け、緑の衣をまとい、紅葉し、さらにジャスミンのように匂いまで配慮されているのです。おいしい食物なら一度食べたらすぐ名前を覚えるのに、木々の名前となると何
度聞いてもすぐ忘れるという悲しい性のわれわれも、きっと礼拝に出席するごとに移り変わる木々の変化、花の色や薫りに感動することでしよう。
 花壇と共に自慢できるものに絵があります。
 実は以前に、教会の夢として、礼拝堂の後の壁に百号の油絵を・・・と書いたのが実現したのです。四宮久子さんという二紀会の会友で徳島県では名の通った女流美術家の百号の超大作です。しかもその題名が「洗礼」という礼拝堂に飾るには打ってつけの絵です。しかも彼女はカトリックの信徒で、数年前に受洗しその感動を絵にして二紀会に出品した記念すべき作品で、青と紫を基調にした素晴らしい絵です。貧乏人はどうしても値踏みしたくなるものですが、彼女の絵は号ン万円ですから、百号でン百万円の値打ち物です。一度是非見て下さい。
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 自慢ついでにもう一つ。これもその時に書いたのですが、エレクトロニクスの粋を集めて制作したデジタル聖歌番号表示器が完成したのです。
 どこの教会でも苦労している聖歌番号案内板を何とか便利なものに出来ないかと考えたある教会委員、エレクトロニクスが専門の義弟に相談を懸けたところ、忙しい中を快く引き受けてくださり、日本で、否世界で1つしかない素晴らしい作品が出来上がりました。実費だけでも二十万円近くかかり、設計製作費を入れれば優に百万円はする代物で、これはその委員さんから寄付して頂きました。これを一つ大量生産して日本中の教会に売り込んで・・・などと真剣に考えた委員さんもいましたが、これは体よく制作者に断られました。きっとかなり苦労されたのでしょう。是非一度見て下さい。
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 色々と自慢話を書きましたが、われわれはそう浮いてぱかりいるわけにはいかないのです。
皆様方から予想をはるかに上回る献金を戴きましたが、やはり少なからずの借金も残り、また記念式の費用も捻出しなければなりません。
 去る1月14日に開かれた信徒総会での一般会計報告では、前年比4、50万円のマイナスでした。信徒の転出その他によるものですが、今年はそれを補って尚昨年以上の出費が避けられず、会計さんの顔も曇りがちでした。「新しい教会も建ったことだし、バザーでもして皆で頑張れば何とかなるわ」とのある信徒の発言に皆でお互いに言い聞かせるように相槌を打ちました。

( 神のおとずれ・1990年1月号 )

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2015年05月30日

おわりに(1)-教会建築物語

おわりに(その1)

 一昨年の「神のおとずれ」8月号から連載を始め、今回で無事最終回を迎えることになりました。野次馬根性で始めたものの、はたしてどんな結末を迎えるのか全くの見通しのつかない行き当たりぱったりのスタート。尤もこれがドキュメントの面白さでもあったのですが、初めにこれを提案したとき、司祭も他の教会委員も「それはええアイデアじゃなあ」と一応は賛成はしてくれたものの、はたしていつまで続くもんじゃろ、と訝しき顔付。中学校での作文以来約30年、その間手紙をたまに書く程度の文筆歴でヌケヌケと連戴物を書くなど、しかも「神のおとずれ」という『クソ』がつく程の真面目な機関誌に、と我と我が身に問い正してはみたのですが、たまたまわが教会の芳我司祭が「神のおとずれ」の編集担当になったばかり、これはきっと神様が与えてくれたチャンスに違いない等と勝手に自らに思い込ませ、取合えずスタートしました。
 なぜこれを書く気になったのか、これは第一回でも少し書きましたが、先ずこうして皆さんに発表してしまえばわれわれ自身もう引っ込みがつかなくなって、今さら「ヤーメタ」等と言えなくなるであろうというのが一つ。お金が集まらなくて途中でニッチもサッチも行かなくなったら「タスケテクレー」と叫べ(書け)ば、ひよっとして慈しみ深い信徒の方から援助の手が差し伸べられるのではないかという、誠にけしからぬ魂胆も一つ。そしてこの田舎の小さくて貧しい教会が一体どのようにして教会堂を建てるのか、また、ひょっとして建たなかった場合、その原因を探ることによってわれわれ信徒自らが省み、同時に教会の、さらには教区のあり方を考える一つの契機になるのではないか、などという少々堅苦しい課題が一つ。さらにはある日、例の顔もきついが言う事もきつい熱血漢氏が私に「なあ近藤さん、この『神のおとずれ』何とかならんのかいな。ちっともオモロないなあ。上意下達の官報じやあるまいし、皆の献金で出しているんやからもっと・・・それにこれはいわば教区の『顔』でしよ。信徒と教区や他の教会を結ぶ唯一の手段でしよ。これで他の教会が見えますか。教区が見えますか。もっとも見えん方が都合ええんやったら別ですけど」と話し掛けてきたのに「ほんまやなあ。顔にしたら一寸情けない顔や。折角うちの芳我司祭に編集の担当が回ってきたんやからわれわれもちっとは協力せないかんなあ」と答えた手前、ひよっとしてこれから建てようとしている教会堂の出来上がりまでの過程を赤裸々にドキュメンタリー風に書けば、少しは貢献できるのではと考えたのも一つの理由でした。
 そして今、途中で「ヤーメタ」と匙を投げることもなく、大声で「タスケテクレー」と叫ぶこともなく(なに 結構叫んでいたって? そうかもしれませんね。でも叫び声が聞こえた人はきっと慈悲深い方に違いありません)、無事立派な教会が建ち、こうしてハッピーエンドで最終回を迎えることが出来たことに心から感謝しなければなりません。途中沢山の方々から激励の便りをいただき、こんなものでも読んで応援して下さる方がいるのを知り大いに励まされました。昨年のクリスマスには聖ミカエル教会の「近藤建三ファンクラブ」と名乗るピチピチギャル数人のグループから、ラブレターまがいのクリスマスカードやプレゼントなど頂き、年甲斐もなく興奮したりもしました。本当にありがとうございました。
 そして祈りと共に1500万円を超える温かいご支援を当教会以外の皆様から頂きました。誰一人これだけ集まるとは想像もしていませんでした。この建築を通して私たちはそれぞれにきっと多くのことを学んだと思います。先日の朝日新聞に「オシャレな教会堂」という題で、以前この欄でも書いた今を時めく新鋭建築家安藤忠雄氏が建てた「光の教会」(日本キリスト教団茨木春日丘教会)の批評が載っていましたが、その中で渡辺豊和京都芸術短大教授は一応その大胆なデザインを誉めた後「しかし教会は古来から信者の浄財を少しずつ集めてつくられるのであるが、その建設に至る道程は筆舌に尽くせない苦労が牧師や信者に課され、その苦労の果てに完成した喜びこそ、神への奉献として何事にも変えがたい聖なる体験となるのである。従って建設自体が祈りである云々・・」とあり、デザインは素晴らしいが所詮彼の聖堂は疑似聖堂であり、安藤氏のみならず、現代建築家が一様におちいっている、何が真なる建築なのかという、真剣な問いかけの欠如を指摘していました。なんだか「ああ、これで良かったんだなあ」と私たちにとって勇気づけられる言葉でした。

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