2015年06月20日

おわりに(2) -教会建築物語

 しかしこうして今、この物語をハッピーエンドに終らせていいのだろうかという心の葛藤も私にはあります。計画から完成までの丸2年、私たちは多くのことを学び、経験し、喜び、悲しみ、怒りもしました。しかし今振り返ってみて、余りにも良い面ばかりを私は書いてきたのではないかと反省しています。私を知らない他の教会の方がこの物語を読んで「近藤さんという方はきっと信仰深い心の広い人なのでしょうね」と言っていたとある人から伝え聞いて、私は椅子から腰を滑らし、手に持っていた熱いコーヒーを顔に浴びそうになりました。自慢ではありませんが私は信仰の薄いおおよそ人間的で心狭き男です。洗礼を受けるとき洗礼名を「イスカリオテのユダ」にしてはいけないでしょうかと牧師にお伺いをたてて大目玉を喰った男です。当時、イエスを銀貨30枚で裏切り、イエスが有罪の判決を受けたのち、その銀貨を投げ捨てて首を吊って死んだユダという男に最も人間的に惹かれるものを持っていましたし、今も変りません。所詮私のように弱い人間は、常にユダの様な生活の繰り返しなのです。果たしてユダは救われたのでしょうか。私は色々な聖職者に尋ねてみましたが、殆どの方が「さあ、それには色々な説があって・・となかなか要領をえません。聖書に書いてないのですから尤もかも知れませんが、しかし私のようなものにとってはユダも救われていなければ困るのです。「なんと勝手なことを」と叱らないでください。
 どうも話が横道にそれてしまいました。私たちはこの2年間に良きにつけ悪しきにつけ色々なことが見えてきました。正直言って見たくないものまで見たかも知れません。正義感の強い?熱血漢氏とよく議論をしました。彼はよく「今の教会は死んどる。教区はもっと死んどる」と言います。教役者の皆さん怒らないでくださいね。ハ代主教様も「信徒がふえもへりもしない教会は死んだ教会と言える」と先日の「神のおとずれ」に書いておられるので、差し詰めわが教会も死んでいるのかもしれません。勿論われわれ信徒の責任もあるのは承知です。しかしこの度神戸教区内の見知らぬ信徒の方々から1500万円もの大金が寄せられて、生意気な言い方ですが、信徒はまだまだ生きていると思いました。では何故教会に元気がないのでしょう。何故教区が死んでいるなどと言うのでしょう。
 そんな難しいことは私たち田舎者には分からないかもしれません。しかし田舎者だから分かることもあるかも知れません。財政の豊かな大きな自給教会の方には見えないものが私たちには見えるかも知れません。いいえ、私たちはむしろ恵まれています。教会堂が与えられ、常時司祭さんがいるのですから。司祭のいない教会が徳島には2ヵ所もあるのです。1、2年前にはいたのですが相次いでイギリスに留学され、それっきりです。毎日曜日の礼拝の大切さを説いたのは誰だったのでしょうか。聖餐式の重要性を説いたのは誰だったのでしょうか。わが教会の芳我司祭は、今も無牧教会の一つである鳴門聖バウロ教会の管理司祭として毎月第1と第3日曜日に鳴門に出かけています。正直いって建築中のわが教会にとっては、大きなハンディでした。しかし、司祭のいない教会の信徒のことを考えるとそんな贅沢は言えません。いないんだから仕方ない、と言われればそれまでですが、毎日牧師が教会に居てはじめて教会といえるのであって、そのように努めるのが教区の仕事ではないのでしょうか。 教区の大きな仕事の一つに聖職者の異動があります。当教会に若い芳我先生が赴任して来てしぱらくたった頃、ある信徒が「せんせ、この教会に10年以上おったらあかんでヨ」と忠告しました。一瞬驚いた表情の先生に「別に追い出すわけやないんじや。わしは牧師を育てるのは信者やと思とる。しかしこんなちっぽけな教会は10年おったら十分。次々と新しい教会、新しい信徒と交わって立派な牧師に育っていくもんじゃ。定年間近になったらまた帰ってきなはれ。もっともその頃はわしも死んでおらんなあ」だと。先日その信徒、来年で芳我司祭が10年目になると知って「ヘー、もうそないなるんで。新しい教会が建ってすぐ追い出すちゆうわけにいかんなあ。ほな、もう2、3年おりなはれ」だと。いやはや芳我先生もえらい教会へ来たものです。
しかし冗談は別として、牧師の異動は教区の最も重要な仕事です。何十年も同じ教会にいることは、牧師にとっても信徒にとっても決していいことではありません。ちいろば先生ではありませんが、牧師は出るべき時期に潔く出るべきですし、信徒も潔く送り出すべきでしょう。そのためには、常にどこの教会がどんな状態でどんな牧師を必要としているか把握していなけれぱならないでしょうし、どんな田舎の小さな教会へ移っても大きな教会と変らぬ給与が支払われる様な態勢作りが必要でしょう。私達の様な教会堂作りは、もう私たちで終るのが理想です。教区が常に目を配り、次は何処の教会を建て直すか、決まれぱ教区一丸となって援助すべきでしょう。そしてこれが本当の教区の仕事なのではないのでしょうか。 「ほんな夢みたいなこと言うたってあかん。第一さきだつもんがないんやから」といわれるに違いありません。「司祭さんは自分の教会を守るので精一杯や、あんまり責めなはんな」とも。そうかもしれませんね。私もだんだん熱血漢氏に似てきたのでしょうか。
 さる一月の信徒総会の後、例の教区の土地を八代学院へ寄付することで一寸した論争がありました。今まで余り事情を知らなかった熱血漢氏が、その土地が時価何億もすると聞いて怒りだしたのです。「どういうことですかそれは。貧乏な教区がなんで・・・。」いえ、もう済んだことですからこれ以上書きますまい。われわれ田舎者には分からない色々の事情があるのでしょう。しかし、いやしくも上に立つものは決して驕ることなく、信徒に一縷の疑いも抱かせないようにして頂きたいと思います。
 いつであったか、「なんで中四国教区やのうて神戸教区なんや」という素朴な疑問が出て「瀬戸大橋が出来たことやし、岡山か広島に教区事務所を持ってきたら丁度ええかもしれんなあ」と冗談を言い合ったことがありますが、将来の教区を考えたらいいアイデアかもしれませんね。東の端からよりも、真ん中から見渡す方が全体を見るのにはるかに良く見えるのですから。
 なんだか外野席が騒がしくなってきたようですし、紙面も尽きてきました。
 長い間ご愛読頂きまして本当に有難うございました。そして私たちの、否神戸教区の徳島聖テモテ教会のために言い尽くせない祈りとご支援をいただきました皆様、本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。いつでも結構ですから是非一度あなたの教会をあなたの目で確かめて下さい。いつでも歓迎いたします。皆様と皆様の教会、神戸教区、さらに全国の聖公会の教会の上に神様の祝福が豊かにありますようお祈りして、この物語を終わらせて頂きます。有難うございました。

               完



 あとがき

 これは神戸教区の機関誌「神のおとずれ」に1988年8月から1990年2月迄連載したものを、殆どそのまま一冊の本に纏めたものです。連載の目的その他はすでに本文に記したので省きますが、その時その時の心の赴くままに書いたものですから、今から振り返ると自己中心的な表現や、前後に何の脈絡もない所も多々あり、未熟な文章表現とあわせて唯恥じ入るばかりですが、この教会の建築の証しの一つにでもなれぱと、献堂式に間に合うよう急濾編集したものです。今までこういった記録は余り無かったので、ひよっとしてこれから教会を建てる方に何かの一助にでもなればというおこがましい気持ちもないではありませんが、何といっても建築にご協力戴いた方々への感謝の気持ちを表す一つの手段となればこれに勝るものはありません。
 急いだため、誤字脱字その他読みにくいところがあるかも知れませんがご容赦下さい。また、何かご意見ご感想がありましたら当教会までお送りください。
                   著者 近藤建三

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2015年06月25日

読者からの便り -教会建築物語

読者からの便り

その1

貴兄の文章を読んでいると司馬遼太郎の本を思い出す。ースバラシイ (中略)
47才でオホーツク近くの鉱山で心臓を悪くして当地に転地療養し、もう64才になった。夫婦で12坪マイナスの家で海を見ながら生活をしている。2人の子供は、長女はアメリカ西海岸に、長男は芝浦工大を出て阪大の大学院でコンピューターを勉強し、いま東京砂漠に住んでいる。(略)
私達は2人とも献体することにしており、葬式も墓も不要と思っている。17年経っても田舎では他所者である。
千代修女(沖縄)には10才位からのお付き合いである。中村弘、加藤九十九先生方に指導された。16才の時、憲兵によく調べられた。炭鉱坑内では毎日100回位は神に祈った。今でも夢は坑内の夢が多い。
さて、「神のおとずれ」は下関の教会から週報とともに毎回送ってもらっている。時々スバラシイものを見ることが出来るーうれしい。しかし、出版物にはやはり住所と電話番号位は載せるべきだと思うし、今度もようやくテモテ教会がわかったが郵便番号がない。
『昔の教会』はすばらしかった。あれは苦しい時代があったからかもしれない。アカによごれた牧師さんの服がなつかしい。昭和42年頃、一度行った千葉の市原の教会は若い人があふれていた。昔の八代監督を下関のステーションで見送った頃がなつかしい。
天皇の戦争責任を問題にすることは当然すぎて話にもならない。世界的規模でみるなら99.9%位になると思う。私の妹もミッションを出て16才で原爆で亡くなった。(略)
貴兄の頭で、生きた文章で、ますます活躍されることを祈ります。貧者の一灯です。

ヒロム

その2

主にある交りを感謝いたします。
突然お手紙を差し上げて申し訳ありませんが、私は東京教区町田市にある真光教会に所属する者ですが、先日、機会がありまして、貴教会で発行されました「徳島聖テモテ教会建築物語」を読ませていただき大変感銘を受けました。私どもも今、聖堂建築と取り組んでおりまして色々と教えられることがございました。
つきましては他の方々にも是非この本を読んでいただこうと思いまして、若しまだ残部がございましたら何部かお分けいただければと思います。
なお、貴教会の建築奮闘を尊敬し、また、御発展をお祈りしてささやかではありますが献金を同封させていただきますのでお捧げ下さい。
主の祝福をお祈り申し上げます。

救主降誕1990年12月31日
町田市 大村喜一


              (完)

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